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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

2010年04月17日

行くべくして

母ちゃん ばあちゃんの所へ行くときは
いろいろ家のことを準備して 出かける。

オレを置いていくことも この頃では気になる。
でも・・・

そんな思いをしても 行ってよかった・・・
と いつも思って帰ってくるんだ。

ばあちゃんに会う。
「●●子かい・・・ まぁ よく来たねぇ。」

「遠い所をさぁ・・・」
と 必ず言って 喜んでくれるんだ。

そして 妹のところで 旦那さんと一杯やる。
旦那さんは 母ちゃんの小学校からの同級生なんだ。

「姉さん・・」
と 呼んでくれる。
楽しいひと時を過ごすんだ。

そして いくら話しても話しきれないほどの話題を
妹と語り合う。

すぐ下の妹と こんな風になれるとは 思いもしなかった。

そして だんだんで皿洗い。
これも とっても楽しみなんだ。

だとえ 1と月に1度だけでも 妹の役に立ちたい。
日々の仕事の中ではわずかなことだろうけど

母ちゃんが 楽しく皿洗いをしていることで
妹夫婦にとって 楽しい時間と心強い思いを伝えることが出来たら・・・

その一心で 皿洗いを申し出るんだ。
そして そのことが心から楽しいんだ。

妹夫婦は それをわかってくれている。

限られた時間で これだけのことをしてくる訳だから
盛りだくさんなんだ。

そして・・・
今回は 盛りだくさん だけではなく

今の母ちゃんにとって 必要な情報をもらいに行ったんじゃないか・・・・
と 思えるような事柄で 満載だった。

すぐ下の妹の友達と話してきたんだ。
その人は 2頭の犬を亡くしていて

今は 癌を抱えていて 余命半年 
と 言われている 14才の男の犬と暮らしている。

その人の話を聞けただけでも 今回行った意味を感じた。
そのあと 施設のばあちゃんの所へ行って

ばあちゃんの妹の 息子夫婦と
偶然一緒になった。

詳しくは 改めて語ろうと思う。
今日はこれで。

またな!!!
  

Posted by ジョー母 at 20:32Comments(6)

2010年03月16日

記憶

記憶 って わりとあいまいなものなんだ。

同じ話を 繰り返し聞いていると 自分の体験ではないのに 
”自分の体験” として 記憶の部屋に入ってしまうこともある。

たとえば 親からいつも聞かされていた話。
聞いているうちに イメージが 頭の中で固定化してくる。

そして 自分の記憶となって 部屋に入ってしまう。

よーく考えてみると その時代に自分はいなかったり その場面にいるはずがなかったり するんだ。

それなのに 見たような記憶になっている。



また とても思い出したくない記憶は すぐには引き出せない所に しまい込んだりもする。

ないものにしてしまうんだ。

人間が 生きていくうえで 必要な機能だな。


だから・・・・
記憶は 作り変えることもできるんだ。

繰り返し・・ 繰り返し・・・
情報を イメージで送り込む。

人間の脳みそって すごいな。
不思議だな。



またな!!!
  

Posted by ジョー母 at 16:44Comments(0)

2010年03月15日

時間

時間というのは 
ありがたいものなんだ。

感情を 薄れさせてくれる。

どんなに辛い感情でも 
時が経てば 薄れてくる。

大切なものとの 
別れの悲しさなんかもな。

それに・・・・ 
今考えても はずかしくて 
穴があったら入りたいような出来事もだ。

時と共に 遠い記憶になっていくものだ。
そうでなければ 人間は 生きてはいけないだろうな。

あのひと時の感情を 常に抱えていたのでは・・・・・
身が持たない。

だから 時間が解決してくれることは たくさんある。
それまでは 頭を低くして 時が経つのを待つんだな。

母ちゃんだって オレとの散歩の思い出を 
喪失感・・・・・
と言う形で 今抱えている。

だけど 時が経てば ただ 楽しい思い出として 残るだけだ。
心配することはない。

相対性の世界に 生きていればこその 
”時間” であり 体験なんだ。

またな!!!
  

Posted by ジョー母 at 14:58Comments(2)

2010年03月09日

第二の犬生

(この写真はな 母ちゃんの誕生日の日に たまたまいる者で撮ったんだ。
オレ もうこのポーズはできなくなった。    後ろ足がな・・・)

ほんとはな  ”第二の人生” っていうふうに 言いたいんだけどな。

オレ 自分のことを 人間だと思っているからな。
でも 犬なんだから ”人生” とは 言えないな。

散歩が出来なくなったことは オレにとって とても大きなことだった。
オレの犬生にとって 大きな境目になることだったんだ。

父ちゃんや母ちゃん 昔はじいちゃんと 一緒に歩くことは オレの誇りだったんだ。
家から外に出て 庚申様にお参りしてな。

友達に会ったり 他のやつらの残していった 臭いをかいだりな。
このあたりを 統括しているような気分だったんだ。

オレと歩く家族もな 楽しそうだった。
鼻歌なんかが 出てきてな。

春夏秋冬 いろんな景色を 体いっぱい味わった。
時には 甥っ子と姪っ子と 兄ちゃんの奥さんと 姉ちゃん夫婦と
総勢 6人とオレとで 歩いたこともあったなぁ・・・・・

11年の歴史だな。
思い起こせば 楽しい思い出が たくさん詰っている。

だけど 最後のほうは 気力を振り絞って歩いていたんだ。
体が限界だったんだ。

習慣とは 恐ろしいものでな。
そんな状態でも 気持ちは散歩をする気になるんだな。

だから この間の アシスタントバンドをしたことによって 現実に気づくことが出来た。
もう 散歩は無理だ・・・・
ってな。

あれで ふっきれたんだ。
もう 悔いはない。

風呂場の掃除が始まっても 迎えに行く気にならないんだ。
ストーブの前か コタツの周りに 横になっていることが オレの日常になった。

時々 外に 排泄に行く。
一日2回の ご飯を食べる。

そしてな 時々 母ちゃんのひざの上に お尻を乗せるんだ。
そうすると 母ちゃんが お尻に顔を押し付ける。

その瞬間 じわじわと 母ちゃんからの 感謝の念が伝わってくるんだ。
精一杯 散歩に付き合った オレへの 感謝の念だ。

”ジョー ありがとう ありがとう・・・”
と 繰り返し言っている。

はっきり 伝わってくる。

オレの 老後の犬生が 始まったんだ。 
それはそれで いいものだぞ。

またな!!!
  

Posted by ジョー母 at 20:14Comments(4)

2010年03月08日

オレの仲間たち

このブログを通じて オレのたくさんの仲間たちのことも 知ることになった。

オレのように 人間と共に暮らしている 本来の生き方をしている仲間たち。
そして 人間の個人的な利益のために その小さな命を落としていく仲間たち。

また 人間の捻じ曲がった精神の犠牲になって 痛めつけられている仲間たち。

目も耳も おおいたくなる。

それに立ち向かって動いている 多くの人間たちのことも知った。

ブログ仲間の ”aruce” さんの記事にあった ”くぅママ” さんは
捨てられた犬たちを 一時預かりするボランティアをしている。

そのままだと 1週間後には殺傷されてしまう運命の オレの仲間を預かって
里親探しをしてくれているんだ。

初めて ボクサー犬を預かってくれたことも 載っていた。
ひたむきに立ち向かっている ”くぅママ” さんの姿に 多くの人間たちがエールを送っているんだ。

これは ナッセリーさんの記事に載っていたことだ。

近くに ペットサロンが出来たとのこと。

そこには 生体をおいていないんだそうだ。
つまり 子犬たちをガラス越しに お客に見せたりしていないんだ。

欧州のペットショップでは 生体をおいている店は ほとんど見ないそうだ。
子犬を欲しい人達に ブリーダーを紹介することはしているそうだけどな。

そして 群馬の”名犬牧場”と 提携して ”里親会” も随時開かれている。

母ちゃん 生体を置かない・・・・
ということに 新しい感激を覚えたんだ。

なるほど!
そうか!

常識が 入れ替わった。
生きた子犬を 売るための商品としておいている・・・・

ということに 含まれる 多くの矛盾に 初めて気づかされた。

多くの人達に 俺たちの命について 考えてもらいたいんだ。
俺たちを ひとつの命として とらえてみれば 今の世の中 おかしいことがたくさんある。

俺たちも かけがえのない命として この世に生まれてきているんだ。
俺たちも含めて ”動物” と言われている命について 考えてみてくれ。

人間と同じ かけがえのない命としてな。

またな!!!
  

Posted by ジョー母 at 17:47Comments(0)

2010年03月07日

寄り添う

振り返ってみれば オレが この家に来た頃は
母ちゃん まだ 良く眠れない日が続いていたんだ。

オレが来る 前の年の6月から 眠れない 食べられない 恐ろしい毎日を過ごしていた。

次ぐ年の2月に オレが来たんだ。

父ちゃんが 犬でも飼おうか・・・
と 言ったことが始まりでな。

母ちゃんは ペットと暮らしたことは ひよこくらいとしかなかったんだ。

それに 兄ちゃんや姉ちゃんが 犬を飼いたいと言っても 母ちゃんが嫌いだから いつでも話は途切れてしまったものだ。

そんないきさつだったんだけどな。
どんな風の吹き回しだったのか 母ちゃんも 賛成したんだな。

そして オレが来たわけなんだ。
オレが来た当事は 父ちゃんも母ちゃんも 家の中で共に暮らすなんてことは 初めてだったので・・・・

大変だった。

夜 寝るときも どうしたらいいのかわからないでな。
その様子は  ”続・小さい頃” http://jyokaisou.gunmablog.net/e75476.html
で 語ってある。

結局 父ちゃんと母ちゃんの間で寝る事に 落ち着いたんだ。

母ちゃん それから ぐっすり眠れるようになったんだ。
それは 劇的な変化だった。

今 母ちゃんは思う。
母ちゃんが 健やかに生きていけるように オレが来たんだってな。

オレの寝顔は 母ちゃんにとって 癒しの源だった。
オレの寝息は 母ちゃんにとって 安らぎの音楽だった。

オレとの散歩は 母ちゃんにとって 心身の健康を作り上げる 最高の生きがいだった。
散歩は 最高の 生きがいだったんだ。

そして・・・・
オレは 力の限り それらをやり通した。

限界までな。
悔いはないんだ。

散歩は オレにとっても 最高の喜びだった。
楽しい思い出ばかりだ。

思えば ずっと 父ちゃん母ちゃんに 寄り添ってきた。
この先も ずっと 寄り添っていくんだ。

それが オレにとっての 最高の幸せなんだ。

泣くな 母ちゃん。

またな!!
  

Posted by ジョー母 at 21:58Comments(6)

2010年03月01日

孤独感

施設のばあちゃんな 元気だったって。

車椅子もぴったりでな。
「押してみな。 スーッと動くだろう?」
なんて うれしそうだった。

施設の2周年記念の 慰問団の踊りを 母ちゃんも一緒に見てきたんだ。

並んでいたのに すぐ前にばあちゃんと仲良しの人がいた。 
そしたら そこへ割って入り込んで 母ちゃんは後ろで見ることになったんだ。

なんだこりゃ・・・・

終わったので 後ろから声をかけたら ばあちゃん震えるほど驚いた。
母ちゃんのことを すっかり忘れていたんだろうな。

認知能力が低下した人には 後ろから声をかけないように!
と 言われたことを思い出したけど 後の祭りだ。

しばらくして お茶の時間になった。
これを機に
「じゃぁ これで帰るね・・」

と言ったら ばあちゃんの顔に ふっと寂しさがよぎったんだ。
あぁ・・ また・・・ この一瞬が・・・

振り切るように そこを後にした。

人間として生きる限りは 孤独と背中合わせなんだな。
まして ばあちゃんのように 年をとって 認知症の只中にいる人は 計り知れないものがあると思う。

それについては ここの家のばあちゃんだって 同じことだ。
父ちゃん 母ちゃん それにオレと暮らしていたって 死を意識した不安と孤独感は 同じだろうぜ。


だけどな。
オレは知っているんだ。

真実は 孤独なんかじゃないってことをな。
一人一人分かれているように見えるけどな。

本当はつながっているんだ。
一つなんだ。

オレも 死を意識する年齢になっている。
だけどな 人間みたいに 孤独ではないんだ。
不安でもない。

オレが死んでも いつか必ず 会いたい人に会える。
父ちゃんにも母ちゃんにも 合える。

オレの 本当のお父さんやお母さんにもな。
だから 何も心配してないんだ。


今日の散歩は 母ちゃんが泣いたんだ。
これは また後で語ることにするぞ。

またな!!!
  

Posted by ジョー母 at 14:46Comments(0)

2010年02月02日

オレのたましい
















オレの魂はな とっても自由なんだ。
どこにだって行ける。
オレの体から離れてな。

母ちゃんが ばあちゃんに会いに行っているとき 一緒に行きたいと思えば その場所にだって行けるんだ。
だから 事細かに語れるわけだ。

視覚も聴覚もちゃんと持ったままだ。

魂は どこにあると思う?
心臓の所か?
脳の中か?

いやいや違うんだ。
魂はな 身体を包んでいるんだ。

身体が魂を内蔵しているんじゃないんだ。
魂が身体を包含している。

生命あるものは 皆同じだ。
人間だってな。

身体の寿命が終わっても 魂は終わらない。
終わりは無いんだ。

そしてな 魂は 時々体から離れるんだな。
身体が寝ているときなんか しょっちゅう離れている。

自由が好きだからな。

だけど魂は それぞれ 目的を持っている。
そのために 身体と共に過ごすんだ。

目的に向かっていくために 体験するために 身体と共にある。
栄光を体験するためにだ。

その それぞれの魂は つながっている。
全体で ひとつなんだ。

ばらばらのように見えるけど つながっているんだ。
だから それぞれが影響を与え合っている。

ばらばらじゃぁないんだぞ。

オレ 母ちゃんや父ちゃんのそばに寄ると 何とも言えずに幸せになる。
母ちゃんも そう言う。

魂が 一つになるからな。
好きあってる同士なんか だから そばにいたいんだ。
身体だけじゃない 魂がくっつくからなんだ。

またな!!!
  

Posted by ジョー母 at 15:04Comments(0)

2010年01月27日

ストレート

オレ ストレートなんだ。

体も 心もな。

何度も言うけど 見た目からして ストレートだろ?
何も隠すものないからな。

うれしいときは 腹も股も 全開で喜ぶ。

生まれたときは みんな同じ。
ストレートだ。
人間も 動物も。

だけど 人間の社会に暮らすうちに 身を覆うものが増えてくるんだ。

まず 赤ん坊は おむつをするな。
垂れ流しじゃぁ こまるからな。

てんでんが 野ぐそや 立ちしょんをしていたら 地球がくさくなっちゃうものな。

そして 服を着る。
心にも ガードをはる。

俺たちペットと言われる動物は ガードを張らない。
だから 人の心をうつ。
人間の心を 動かす。

素直 純粋 と人間は表現する。

えちこママが言っていた。
「素直が研ぎ澄まされて 本当の自分の核が浮き彫りにされる。」
とな。

自分の核が浮き彫りになると 思いがストレートに宇宙に届くんだ。

服を着るのは 仕方がないとして 心のガードは 重たいぞ。

この世の中に生きていれば ガードをするのは仕方のないことだな。
でもな 余分なものは捨てればいいんだ。

よーく考えれば 何が余分か わかるぞ。
不安に根ざしているものが 余分なんだ。

究極的には 愛と不安が 感情の根っこなんだ。
愛のほうを向いてみろ。

宇宙はな 愛を基準にできているんだ。
だから 不安を手放しても 少しもこわくないんだぞ。

どっちが正しいか ということじゃぁないんだ。
どっちが自分にとって 気持ちがいいか ということなんだな。
大丈夫だ  愛のほうを向いてみろ。

愛は 広がる ゆるむ 際限がない。
不安は 狭まる 固まる 枠がある。

だけどな オレの仲間が 全員ストレートかというと そういうわけではないな。
生まれたときはそうでも 人間にいじめられたりすると ペットといえどもガードをはるんだ。

仲間たちがガードをはらなくも 生きていける世の中に
人間たちが 不安を抱えなくも 生きていける世の中に
早くなりますように!

オレ 祈っているぞ!

またな!!!
  

Posted by ジョー母 at 21:22Comments(2)

2010年01月13日

オレの心

オレ 何度も言うけど 人間が大好きなんだ。

言葉は話せないけど 人間の気持ちは 手にとるようにわかるんだ。
そして 受け入れる。

怒られると 逃げる。
そのあと そっと近寄って心を預ける。
オレ どんなときも あなたが大好きだぞ・・・・
って 伝えるんだ。

ほめられると 全開で喜ぶ。
体も 心も 全開でな。
喜ぶんだ。

争いは 苦手だ。
どうしたらいいか わからなくなるんだ。

父ちゃんと母ちゃんは 別格だけど。
悲しい人 寂しい人 辛い人は すぐわかるんだ。
そういう人がいると 寄り添いたくなる。

オレが 寄り添うことで 少しでも楽になってほしいんだ。
これは 俺たちの 習性でもあるんだろうな。

知っているんだ。
オレの体温 オレの毛並み オレのにおいは
人間を ほっとさせるんだっていうことをな。 

足がいうことをきかなくなっても 耳が遠くなっても 散歩に行けなくても・・・
オレ みんな受け入れちゃうんだ。

誰も恨まない。
自分も含めてな。
それを そのまま受け入れる。

転んでも 起きようと あきらめないで 必死でもがく。
何事にも ストレートなんだ。
そのことだけに 集中する。

ストレート。
体もな。
ふるちん はだし・・・
だもんな。

またな!!!
  

Posted by ジョー母 at 23:48Comments(0)

2010年01月12日

オレの役目


オレ ここのうちの子になったのは偶然じゃない。

神様から 役目をおおせつかって来たんだ。

母ちゃんが ここの家のじいちゃんばあちゃんと 
仲良くできるように やってきたんだ。

オレの話題を共有できるように。
話すことがない なんて言わないように。 

父ちゃんと母ちゃんが オレを育てることで いっそう強い絆が結べるように。
疲れている 父ちゃん母ちゃんが オレの存在で 癒されるように。

母ちゃんが 眠れない夜がなくなるように。
オレの寝息で 安らげるように。

オレを通して 命を身近に感じられるように。
どんな命にも 魂が宿っているんだと 身をもって伝えるために。

雨が降っても 雪が降っても 風が吹いても オレと歩くことが楽しいって事を 知らせるために。
そのうち 足腰が丈夫になるように。

足腰を丈夫にすると 体も心も 地に足がついてくる ってことを 体感してもらうために。

オレ 神様から 使わされたんだ。

この11年の間 精一杯 役目を全うしてきた。
幸せだった。

まだまだ続く。
オレの役目。

またな!!!
  

Posted by ジョー母 at 20:55Comments(2)

2010年01月04日

想いを現実に!

”思うことは 叶う”
と よく言うな。

思っているのに 願っているのに ちっとも実現しない・・・
と 言う人も 多いんじゃないか?

思い方が 違っていると 実現しないんだ。

”エネルギー” のところで話したな。
宇宙は正直だって。

思ったことは そのまま宇宙に 発信される。
”宇宙” っていうと 難しく感じるかもしれないな。

生きたり 死んだり することも含めて・・・・・ 
地球にとどまらずに 宇宙をもつかさどっている 絶対的な秩序。

”見えざる 動かし手”

「お金が欲しい!」 と 願うと
その ”見えざる 動かし手” は
お金が欲しい!
と言う状態を 発信者に そのまま届けるんだ。

欲しい状態で 帰ってくるんだな。
そうなると いつまでも 欲しい状態でいるわけなんだ。

欲しい! と言うことは 不足の状態だ。

お金でも 名誉でも 人間関係でも 同じなんだ。
”充分だ!” という 思いを発信すれば 充分な状態が もたらされる。

不足しているのに そんなこと思えない・・・・
と 思うだろうな。

だけどな ”不足” も ”充分” も 何が基準かは 自分で決められるんだ。
自由なんだ。

よーく考えてみると ”充分” なことも たくさんあるぞ。
そこに 焦点をあててみろよ。

生きていると とかく ”不足” にばかり 焦点が向いてしまうよな。
無理は無いな。

苦しかったり 辛かったりすることが 今の世の中多いものな。

そんなときだからこそ ”充分 足りている” と 考えるんだ。
足りているものに 目を向けてみろ。

そしてな 「ありがたい!」 と 感謝してみるんだ。
心から思えなくてもいい。

何度も思っていると 何度も口に出していると 本当に そう思えてくるぞ。
そこがみそなんだ。

できれば 口に出して 繰り返すんだ。
「ありがたい! ありがたい! ありがたい!・・・・・」

習慣は恐ろしい。
すぐまた 足りない 足りない となるけれど いいんだ。
「ありがたい! ありがたい! ありがたい!」
と やっているうちに そっちのほうが 習慣になるからな。

そして 知らないうちに ”ありがたい” 状態が やってくるぞ。

宇宙の秩序は 公平だ。
誰にも 同じに働く。

寸分の狂いもなくな。

またな!!!
  

Posted by ジョー母 at 21:12Comments(0)

2009年12月29日

続・悲しいときは

母ちゃんの人生の中で 大きな悲しい出来事。
それは 兄ちゃんと姉ちゃんが 高校を卒業をして この家を出て行ってしまうときだ。

兄ちゃんと姉ちゃんは 男と女の双子の兄弟なんだ。
だから 卒業も一緒だ。

7人家族が5人になってしまったものな。

ぽっかり空いた部屋を見るのがいやで 入れなかった。
スーパーで買い物をしていて 兄ちゃん姉ちゃんの好物を見ると 人中でも涙が出てきてしまった。

とにかく 何かにつけて 泣けてしまったんだ。

その頃 名曲アルバムのCDを よく聴いていた。
たまたまその中に ”精霊の踊り”があって 聴くことになったんだ。

いやはや 泣けたんだな。
恐ろしいほど 悲しくなって あとからあとから涙が出てきた。

ずーっと溜まっていた涙が どんどん出てきた感じだ。
途中では止まらない。

そのあと すっきりしたような気がしたんだ。
何回か聴いていくうちに 悲しみは収まってきたんじゃないかな。

だいぶ前のことなので どういう風に進んだのか あまり覚えていないんだ。
だけど ”精霊の踊り”のことは 強烈に残っている。

それを聴くまでは 悲しみと対決するのが いやだった気がする。
だけど 思い切って悲しみと相対したら 悲しみは小さくなった。

そういうことだったと思う。

父ちゃんの父ちゃん オレのじいちゃんが死んだときは 母ちゃん コツを覚えていたから どんどん泣いた。
まだ3年くらいしか経っていないな。

そのときは 音楽と言っても 風呂場で 歌を歌って泣いた。
CDじゃなくて 生歌な。

その頃ちょうど ”千の風になって” と言う曲がはやっていて そのときの心境にぴったりだったんだ。

風呂に浸かりながら 高らかに歌った。
1フレーズ 歌い終わらないうちに 「ウーッ ウーッ・・・・」 と泣けてくる。

1週間くらい それをやって そのことは卒業したんだな。

またな!!!
 
  

Posted by ジョー母 at 22:18Comments(4)

2009年12月29日

悲しいときは

悲しいときはな 我慢しないで泣けばいいんだ。
男だって 泣いたっていいんだ。
オレだって たまに泣くぞ。
男だって 女だって 泣けばいいんだ。

オレ 朝から このことについて語ろうと思っていた。
そして 今もそのままだ。

オレの語りを聞きに来てくれている人で 悲しい人がいるのかもしれない。
今日は オレ その人に向かって 語るぞ。

オレのこの目を見てみろ。
人間の悲しみを 吸い取るぞ。

人間は 我慢することを 教え込まれているから なかなかうまく泣けないんだな。

まずは 心置きなく泣けるように 環境を整える。
そしてな 奥の方に引っ込んでいる悲しみを 引っ張り出すんだ。

一人になって 音楽を聴く。
クラシックのな ”精霊の踊り” という フルートの名曲がある。
作曲家が 今ちょっとわからないのだけど
これは泣けるぞ。
我慢したって 負けるほど 悲しみが湧き出してくる。

心を開放してやるんだ。
そして そんなに悲しみを抱えているのに 一生懸命生きている自分を ”けなげだな、 よくやっているな・・”
と 慰めてやるんだ。

音楽とともに 自分のことを かわいそうにな・・・・
と 思ってやるんだ。

一通り泣くと 気が済むぞ。
そして 悲しみも少し 小さくなる。

そしたらな そんな風に あれこれやっている自分のことを 
なんだか いろいろやっているな・・・
と思って 笑っちゃうんだ。

ちょっと離れてみてみると 一人で音楽聴いて おいおい泣いている自分が おかしくなってくるぞ。
おかしくなるのは 無理かもしれないけれど 気の済むまで泣くことは やってみろな。

”精霊の踊り” の後は ”清められた夜” で しめる。
これは 泣いた後 前を向かせてくれる きっかけになる気がする。

母ちゃん クラシックを特別好んで聞くわけじゃないのだけど 悲しいときに出会った曲なんだ。
それは また今度 語るとするな。

またな!!!
  

Posted by ジョー母 at 00:35Comments(2)

2009年12月10日

直感

直感は 魂の耳なんだ。
宇宙からのメッセージを キャッチするためのな。

ほんのわずかでも ひらめいたこと。
ふっと 頭をよぎったこと。
ふと 開いた雑誌の ひきつけられたページ。

気をつけなければ そのまま通り過ぎてしまうような出来事の中に 宇宙からのメッセージのヒントがあるんだ。

そのヒントを つなぎ合わせると ひとつの形になったりするものなんだな。

だけど 人間は 直感を粗末にするんだな。
たいしたことないことだと思って その場で忘れていくんだ。

魂はそのたびに 埋もれてしまう。

人間はな 「体」 と 「精神」 と 「魂」 で構成されているんだ。
そして 最終的には 魂の目的のために 生きているんだ。
例外なくだぞ。

この世の中で 生きていくためには 「体」 も 「精神」 も
必要なんだけどな。
魂の目的のために その 「体」 と 「精神」 を
駆使して 生きる。

その構図をわかっていると 案外すっきりするものだ。

直感に注意を向けることは 自分の中で 習慣づけないと なかなか容易ではないな。
最初は気をつけてやっていると そのうち自然に注意が向くようになるぞ。

直感を感じたら 「精神」 に口出しさせずに そのように行動するんだ。
直感にしたがって行動することは ちょっと不安になったりするものだけど あれこれ考えずに そのまま行動に移すんだ。
そうすると 魂は喜ぶぞ。
ますます 直感でヒントがくるんだ。

このことは 前に話した 母ちゃんの愛読書に書いてあったんだ。

オレなんか 常に 直感にしたがって行動してるけどな。

母ちゃんも ちょっとしたことにも目を向けるように 気をつけるようになったな。

こういうことは 目に見えたりするものじゃぁないから ”そんなことない・・・”
と 思ってしまえば ”そんなことない” ことになってしまうんだな。

ひとつ 試してみるかな という気持ちがあれば 試してみればいい。 
こうしなければならない なんていうことはないんだ。

自分で 選べばいいんだ。

魂の目的は ただひとつ。

自分が この世に生きている目的を理解して そのことによって得られる 「栄光を体験するため」なんだ。

この世に生きている目的とは 
自分が得意なこと。
強烈な興味を持つこと。
やっていて 楽しく 情熱を持って 取り組めること。

そういうことをすることによって 周りに 心地よい影響を与えること。

誰もが そういうことを持っているはずなんだ。
そのことをすることによって得られる 「栄光の体験をするため」に 人間は生きている。

今日はこれでな  またな!!!
  

Posted by ジョー母 at 00:11Comments(0)

2009年12月02日

続・舞台の主人公

自分に起こる出来事を 周りのせいにしているうちは 自分の舞台の主人公に なりきっていないんだな。
出来事の 原因も結果も 自分で引き受けることで 初めて主人公になれるんだ。

明らかに周りのせいなのに・・・・
と思えることでも 一度 ”それは自分が引き寄せているのかも・・・・”
と 思ってみることだ。

子どもは親の手の中で 生きていく。
どんな人生になるかは 親に大きく影響されるな。

それでも 宇宙的な観点からは 自分で選んでいるんだ。
そして 必ず ”舞台の主人公” になる道の きっかけはやってくる。
それを アンテナでキャッチするかどうかは 自分なんだ。

それでもだめなら 周りのせいにしたっていいんだぞ。
心の中で 自分が楽になるように 思えばいいんだ。

苦しくなったら 今一度 原因と結果を 自分で引き受けることを やってみればいい。

こうしなければならない・・ なんてことはないんだからな。

それからな
逆に 何でも自分のせいにしてしまう人も居るな。

自分が悪いから こうなってしまったとか 自分のせいで あの人が不幸なんだとかな。
それも同じなんだ。

人の舞台の主人公にはなれないんだ。
あくまでも 人の人生は その人が作っている。
その人が 何を選んで生きていくかにかかっているんだ。

そしてな 物事をいいとか悪いとかで判断すると 行き詰るんだ。
原因と結果が そこにあるだけなんだ。
右と左が あるだけなんだ。

母ちゃんは そのことに気づいてから 生きていることが楽になったんだ。

母ちゃん こんな風に 自分のことを発信するとは 思っても見なかったんだな。
オレと家族のことだけを 書いていくつもりだったのに こういう展開になるとは まったく予想もしていなかった。

だけどな この間も書いたとおり 語りの種は パソコンに向かうまで わからないんだ。
どういう風に進むのか そのとき任せなんだな。

そして 自分のことを書きながら思ったんだ。
かつての母ちゃんが 友にめぐり合うことで 自分の舞台の 主人公の座をつかむことができたように 今苦しい人がいるのなら そのきっかけになれば・・・・・
とな。

たった一人でも これをきっかけに ”真の主人公になる道” に 
進むことができるなら・・・・
それでいい。

オレと母ちゃんで話し合って 発信することを決めたんだ。

そして このことを 直感に従って書いているということは 必ず一人は そういう人がいるからなんだ。
とも 思っている。

直感というのは 宇宙からのメッセージだと 母ちゃん思っているからな。


またな!!!
  

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2009年12月01日

続・舞台の主人公

オレ このポーズ 
好きなんだ。
父ちゃんの 股の間から 顔を出して 父ちゃんをじっと見るんだ。

父ちゃん 必ず頭をなでてくれるんだな。
父ちゃんは オレにとって やっぱり父ちゃんなんだ。
怒るとこわいけど 頼りになる 存在なんだ。

ただただ 忠誠心をささげる 相手だ。


母ちゃんが 新たな自分を構築するには 一緒に歩む力強い友がいた。
今でも大切な友人だ。

15年以上前のことになるな。
オレはまだ いなかったな。

子どもたちを そろばん塾へ送っていく 通り道に お地蔵様があってな。
その前に車を止めて 一人号泣したんだ。

「お地蔵様 助けてください!・・・・」
苦しかったんだ。

気力も体力も 地に落ちていた。
毎日を生きているだけで 精一杯だった。

もうどうにもならなくなったとき 友人が 本を紹介してくれたんだ。
何冊も何冊も 読み始めた。

友人と共に そのときを共有しあった。
何時間も その友と つばきを飛ばして語り合った。

母ちゃんに 準備ができてきたので 同じときに同じ境遇の友を 
宇宙はめぐり合わせてくれたんだ。

準備。
大きな出来事をきっかけに どうにもならなくなったときが始まりだ。 
自分の頭と心の中を 総入れ替えせざるをえないような 心境になったときが 準備が整ったときかな?

母ちゃんは すべてのことを 他人や環境のせいにしていたんだ。
周りが悪いから 自分が不幸なんだ・・・・
と 本気で思っていた。

自分はこんなにいい人間なのに・・・・
とな。

自分の考えを 周りに押し付けて わかってくれない・・
と 思っていた。

それに気づいたとき そして 今までと反対の行動をとったとき・・・・
感動のあまり 自分しかわからない 涙を流した。
誰にもわかってもらわなくても 自分が感じられれば それで充分だと思ったんだ。

今でも あのときの感動の一場面は 忘れられない。
涙が とても熱く感じた。

それから いろいろなことが動き始めたんだ。

続きは この次な。


こっちの写真は 母ちゃんのひざの上にお尻を乗せているんだ。

またな!!!
  

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2009年11月30日

舞台の主人公

人生を舞台にたとえるとな 
それぞれの人間が 
それぞれの舞台に立っているわけなんだな。
そして 一人ひとりが その舞台の主人公なんだ。

人の舞台の 脇役で出演しているんじゃぁない。
100人いれば 100人の主人公の舞台があるんだ。

自分にかかわりのある人達は 
自分の舞台の共演者だ。
自分を中心に 進行しているんだ。

ひとつの出来事に 何人も係っていたとしても それぞれを主人公に 回っていくんだな。

自分の考えで 自分の生き方を 生きていく。
当たり前のことなんだけど それが結構 人の考え方や目線で 物事を選んでしまっている場合があるんだな。
無意識にな。

そんな人間には ”目を覚ませ!!”
と 宇宙が掛け声をかけてくる。

その声に気づくことができれば 完璧な主人公になれるんだ。
その声に気づくには 大きな出来事が きっかけになることが多い。

だから 自分に起こる出来事に アンテナを張っていると キャッチできる。

母ちゃんもそうだった。

こんなに苦しいのは どうしてだろう?
と 苦しさの中で 自問自答したあげくに ふっとつかんだんだ。

それからは 新たな自分を構築する わくわくするような時が過ぎたんだ。
自分の人生の 紛れも無い主人公になるためにな。

人から見れば 自分勝手 と 思われるようなことも ずいぶんあったと思う。
実際 そう言われたこともあった。
でも ひるまなかった。

自分を信じて 自分の人生の主人公になるために 今までと違う選択をしたんだ。

常に 人からの評価を気にしてきた人間が そこから脱却して 自分の思うとおりに生きようとするわけだから 真剣でなければ変わることはできないな。

その頃は 母ちゃん 真剣だった。
でも 楽しくも うれしくもあったな。
自分で考えて そのように行動するということが 新鮮で心地いいものだったんだ。

今日はこの辺でな。

今日は 朝からこのことを書こうと思った。
それを今まで 忘れずに思い続けられたんだ。

だから 今日は このことについて書く日なんだな。

またな!!!
  
タグ :人生の舞台

Posted by ジョー母 at 14:37Comments(0)

2009年11月27日

いいとか悪いとか


人間の感情はな、 究極的には 愛と不安のどちらかに付随するんだな。
楽しい うれしい 心地いい 好き かわいい・・・・・
元は  ”愛” なんだ。

恐れ 憎しみ 嫉妬 罪悪感 劣等感・・・・・
元は ”不安” なんだ。

”愛” がよくて ”不安” が悪い なんてぇことじゃぁないんだ。

この世の中は 両極端のもので 出来ているってぇことなんだ。

明るい、 ということは 暗さを知らなければ わからないものな。

背の高さ だって 同じことだ。
皆の身長が 全員同じならば 背が高いも低いもないものな。

両極端があるから 比較ができる。

だから どっちがよくって どっちが悪いなんてぇことは ないんだな。

ただ 右があって 左がある ってだけのことだ。

いいとか悪いとか 善とか悪とかで 判断することはないんだな。

自分が 幸福な気持ちになるためには 何が必要か。
ただそれだけだな。


不安や恐れはな 抵抗すると大きくなるぞ。
抵抗すればするほど 大きくなってしまうんだ。

苦手な相手も同じだな。

抵抗しないで ただじっと見つめてみるんだ。
そうすると 少しづつ小さくなるぞ。

じっと見つめていると その相手の中に 自分と同じものを見つけることもあるな。

オレ 人間がみな 幸福な気持ちで 生きていってほしいんだ。
オレ 人間が大好きなんだ。

またな!!!
  

Posted by ジョー母 at 22:03Comments(0)

2009年11月25日

怒り

怒りはな 時として ものすごいエネルギーになるんだぞ。
うまい具合に爆発させるとな。

母ちゃんの妹 そばやのな。
パニック障害だったって 話したことあるよな。

妹が大変だった頃、 神経科の薬を飲んでいたんだ。
薬はあまり飲みたくない、 と思っていたけど どうしても不安でやめられなかったんだ。

何度も何度も母ちゃんに そう言ってた。

ところが それほどやめられなかった薬を スパッとやめたんだぜ。
怒りでな。

病院の先生の対応に 腹を立てたことがきっかけなんだ。

怒りったって 少しくらいの 小出しのものじゃぁだめなんだ。
わなわなと震えるくらいの、 腹のそこから湧き出すくらいの、 押さえようったって押さえられないくらいの、 鼻の穴から煙が噴き出るくらいの、 パワーでなけりゃぁだめだぞ。

先生が そこまで計算してたかどうかはわからないけれど、 
とにかく腹を立てたんだな。
細かいことは 妹の ”パニック障害克服記no13” http://www.ne.jp/asahi/sosite-sazaepon-no/siawase-na-kurasi/panikkusyougai13.html に載っている。

不安でいっぱいの患者に 不用意な対応をしたんだ。
今オレが読んでも 頭に来るんだから
そのときの妹にとって 頭の上から煙が出るくらい 腹が立ったんだろうさ。

だけどな 腹を立てるって言うことは エネルギーがなけりゃできないことだから、 
そのときの妹には エネルギーが蓄えられていたってことになるな。
準備はできていたわけだ。

そうやって 一つ一つ克服したんだな。

他にも何人か 怒りによって 窮地を脱出した人を知ってるぜ。
その話はここでは しないけどな。

怒りのエネルギーは 周りに向けると 
差しさわりが出てくるけど 使い方によっては 大きなプラスの力になるんだぞ。
自分に起こったことを 最終的にでいいから 人のせい 周りのせいにしなければな。

またな!!!
  

Posted by ジョー母 at 16:18Comments(2)