2010年10月05日

最期

最期これ 今日のオレ。

午前中は こうやってずっと寝ていた。

その間に母ちゃん 友達の家に
行ってきた。









最期
舞茸としいたけが出たから
とりにおいでよ・・・

と 声をかけてくれたんだ。

ずっと前に 母ちゃんが泣き言を言って
いい話を聞いて いい気分で帰ってきた

友達の家。

今日も シーズーが死んだときの話をしていた。

とりすがって ずっと泣いていた話だ。

「泣き言」
http://jyokaisou.gunmablog.net/t110672

もう何年も経っているのに
目をうっすら赤くして 話してくれた。
最期
人間でも 犬でも猫でも
その最期は 一世一代の大仕事になるわけだ。

その者の 一世一代の別れの仕方を
あとのものに 残していくことになる。

母ちゃんの歳になると
ずいぶんとたくさんの 最期を見てきた。

どの最期も みな その者の締めくくりを
表してくれていた。

みな 崇高で 尊い最期だった。
最期
前にも話したけれど ここの家のじいちゃんは
あっという間に 逝ってしまったんだ。

「じいちゃんが逝くとき」
http://jyokaisou.gunmablog.net/t106301

それまでは なんだかんだと
手を煩わされたような気がするけど

逝くときは 「いざさらば!」
っていう感じだな。

後から考えると 
そうか あれがじいちゃんの逝き方なんか・・・

なんてな 思えるんだな。

母ちゃんのほうのじいちゃんは
8ヶ月の入退院の繰り返しで

家族で交代で 付き添いをした。
今思えば うん あれがじいちゃんの逝き方だな・・・

って 思える。
最期
さっきの シーズーは
いつまでも心に残る逝き方をしたんだな。

それが そいつのスタイルだったんだろうな。

聞けば オレの語りに来てくれている人たちも
老犬や老猫と暮らしている人がけっこういるんだな。

よく 小さい子供には
死んで行くものの最期のときは見せない

という 人間がいるけど
母ちゃんは めいっこやおいっこにも

オレとの別れを ちゃんとさせたい
って 思っているんだ。
最期
命あるもの 必ず終わる・・・
という 万物の摂理を

理屈だけではなく 体で味わうことを
させたい と 思うからなんだ。

悲しみや寂しさも伴うだろうけど
ちゃんとした別れをするとしないとでは

その後の人生に 大きな違いが出てくるだろう。

その日がいつくるかはわからないけど オレも みんなにちゃんとお別れをして

あっちへ行きたいと 思っている。

死は どんな最期でも 崇高で 尊いものだ。

(車椅子の3枚の写真はな
今日のものだ。 
いつものパターンだったけどな。)



またな!!!

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Posted by N子 at 16:25│Comments(4)
この記事へのコメント
私も ジョーの最期は 娘達を起こして見せました。
亡骸になったジョーを 家族皆でBEDに運びました。
家族だから。。。全員でおくりました。

死 って悲しいけれど 家族なら余計 目を背けては
いけないんだと思います。
1年以上経ちましたが 
思い出すとまだ涙が出ちゃいます。。。
Posted by ジョーママ at 2010年10月06日 09:56
ジョーママさん こんばんは。

ジョーの最期の話は 以前お聞きしたことがあります。
家族みんなで 送ったとの事。
もう 1年以上が経つのですね。
私がブログを始めてまもなく ”ジョー君が逝ってしまった” という文字を見つけたのでした。
それからのお付き合いで かれこれ1年が経つのですね。

ジュリ君がいても ジョー君はジョー君なんですね。
Posted by ジョー母ジョー母 at 2010年10月06日 23:53
ジョー母さん、こんにちは。

2年前に亡くなった夫の母のことと、15年前に
亡くなった実母のことを思い出しました。

夫と私は深夜2時から、夫の姉一家(子ども4人も)は
朝8時過ぎから、亡くなるお昼12時までの間、皆、
病室で過ごし最期をみとりました。

私の実母は倒れて1時間ほどで亡くなったので
実父が立ち会えただけでした。
なので、夫の母の最期が、私にとって「初めての死」。

すいません、ジョー母さんのところで何を言っているの
でしょうか、私は。
・・・というか、なんてまとめていいのか、わからなく
なりましたが、「死」とそれに関わるいろいろなことを
最近はよく考えるようになりました。
Posted by tammy at 2010年10月08日 16:32
tammyさん こんばんは。

そうそう あるんです そういうこと・・・
何か言い始めて そのうち 自分は何を言いたいのかわからなくなる・・
ってこと。
でも わかりますよ。
tammyさんの 言わんとしていること。
自分が大人になるにつれて 死というものを考えるようになるんですよね。
それも 若い頃よりずっと広角的に。
だから まとまらない・・・
って ことかもしれませんね。

実のお母さんの最期に立ち会えずに ご主人のお母さんの最期に立会い 看取る事ができたのですねj。
それもすべて その人のスタイルなんでしょうか?
私たちにはわからないことですが 人間が考えるようなことの範囲は飛び越して 大いなる摂理のもとで行われていることなんでしょうね。

話してくださって ありがとうございます。
Posted by ジョー母ジョー母 at 2010年10月08日 18:50
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    コメント(4)