2011年05月09日
「うんち見る?」
姉ちゃんは 自分の子どもであるめいっこに できる限りなんでも見せて育てている。
母ちゃんにしてみると えー? そんなものも見せるの?
っていうことが たくさんある。

まだオムツをしている小さい頃
「あーちゃん うんち見る?」 と めいっこに聞いていたので 母ちゃん驚いたんだ。
自分が子育てをしている頃には 思いもつかない話だったからな。

そうに聞くと めいっこは 「うん・・」 と答えて 自分のうんこを見るんだ。
「いい色をしているねぇ・・・」
なんてな。
最近では 妹の出産に立ち会ったんだぞ。

分娩室へ一緒に入って 赤ん坊が産まれる瞬間をパパとママと共有したんだ。
母ちゃん ビデオを見せてもらってぶったまげた。
姉ちゃんが お産の瞬間のときには ベッドに上がりこんで 姉ちゃんの顔の横に陣取って その成り行きを見届けた。
「ママ がんばれ がんばれ!」 ってな。
静かに進んだ お産だったけど 何とも言えない感動を届けてくれるお産だった。
「いいお産だったねぇ・・・」
婦長さんの言葉が 耳に残った。
そして 一番最近に見せたことは オレの最期の瞬間だ。

母ちゃんが泣いていると
「ばあちゃん 大丈夫? あーちゃんがついているから大丈夫だよ」
なんて言いながら 母ちゃんを気遣う心配りもしたんだ。
オレの最期のことについては まだよく理解できていない風なんだけど・・・
オレが死んだ次の日に 高崎に帰って間もなく大雨が降った。
空を見上げながら
「ジョーちゃん 雨が降っているから まだお星様になれないよね・・」
そのあと オレの墓参りをしながら

「ジョーちゃん もう そろそろお墓から出てくればいいのにね・・」
(ちょっとニュアンスが違うかもしれない・・・ けど 確かこんな内容だったと思う)
オレが 9歳の頃からの3年間の付き合いだから けっこう親密な付き合いだった。
いろんなものを見せるってことが いいかどうかではないんだな。
見せれば見せたで 小さいうちはフォローが必要だものな。

自分の排泄物を見せる っていうことは いろんな意味があることになるな。
見せることによって 自分の健康管理につながることになるものな。
そして 排泄物だろうが何だろうがよく観察する事で 人のものも含めて自分の体から出る当たり前のものとして うんこというものを自覚する。
このことは ずい分大きな意味があるような気がするんだ。
生死に立ち会う ということも同じだな。

特に お産に立ちあったときは 地震の次の日だったから そのショックもあったので 3歳の子どもが受ける出来事としてはどれほどのものだったか・・・・
母ちゃん そうも思ったけど めいっこは 立派に通り過ぎた。
どんなことでもできる限りわかるように 丁寧に説明する姉ちゃんだから 母ちゃん 心配はしていなかったけど
及ばずながら 一生懸命フォローはしたぞ。
そして今めいっこは 妹の誕生でママを独り占めできなくなってしまった。
妹のことは大切なんだけど ・・・
兄ちゃん 姉ちゃんの立場であれば 誰もが通る道だな。
めいっこも 今 その立場を受け入れている段階なんだ。
父ちゃんと母ちゃんに大事にされて 昨日からオレの家に泊まっている。
自分から言い出してな。
いろいろなカラーの人間と接する事で 子どもの幅が広がっていくんだろうな。
とにかく 母ちゃんには考えもつかない姉ちゃんの子育てなんでな みんなに話したかったんだ。

ばあちゃん 姉さんかぶりが取れてるぞ!
小さな子どものいるママたち 子育ては大変だな。
姉ちゃんだって 怒ったり 一緒に遊んだり 試行錯誤の毎日だ。
だけど 限られた期間の創作活動だ。
がんばれな!

これは 草むしりを 手伝っているんだな。
今日は 母ちゃんが 兄ちゃんの家に連れて行って 甥っ子と一緒に遊ばせたんだ。

これ 二人がちょっと険悪なムードのとき。
一緒に遊べることが うれしいくせに すぐけんかをする。

オレの語りの一区切りについて 実際の所どういう風になるのか母ちゃんにもわからないんだな。
オレが死んでしまうまでは なくてはならなかったものだった。
オレとの暮らしが 何倍にも大切で幸せなものになるのに 必要なものだった。
だけど オレがいなくなってしまってから その柱がなくなってしまった感じなのかなぁ。
語りのどんな内容も ふ抜けたものに感じてしまうんだ。
少し 様子を見ながら行ってみようと思っている。
この先 語りたいときに語る ということができるかどうか な。
人間の心というものは めんどうくさいものだなぁ。
やってみなければ 自分でもわからないというんだからなぁ。
あと一つ ばあちゃんについて語ろうと思っている。
このつぎな。
またな!!!
母ちゃんにしてみると えー? そんなものも見せるの?
っていうことが たくさんある。
まだオムツをしている小さい頃
「あーちゃん うんち見る?」 と めいっこに聞いていたので 母ちゃん驚いたんだ。
自分が子育てをしている頃には 思いもつかない話だったからな。

そうに聞くと めいっこは 「うん・・」 と答えて 自分のうんこを見るんだ。
「いい色をしているねぇ・・・」
なんてな。
最近では 妹の出産に立ち会ったんだぞ。

分娩室へ一緒に入って 赤ん坊が産まれる瞬間をパパとママと共有したんだ。
母ちゃん ビデオを見せてもらってぶったまげた。
姉ちゃんが お産の瞬間のときには ベッドに上がりこんで 姉ちゃんの顔の横に陣取って その成り行きを見届けた。
「ママ がんばれ がんばれ!」 ってな。
静かに進んだ お産だったけど 何とも言えない感動を届けてくれるお産だった。
「いいお産だったねぇ・・・」
婦長さんの言葉が 耳に残った。
そして 一番最近に見せたことは オレの最期の瞬間だ。

母ちゃんが泣いていると
「ばあちゃん 大丈夫? あーちゃんがついているから大丈夫だよ」
なんて言いながら 母ちゃんを気遣う心配りもしたんだ。
オレの最期のことについては まだよく理解できていない風なんだけど・・・
オレが死んだ次の日に 高崎に帰って間もなく大雨が降った。
空を見上げながら
「ジョーちゃん 雨が降っているから まだお星様になれないよね・・」
そのあと オレの墓参りをしながら

「ジョーちゃん もう そろそろお墓から出てくればいいのにね・・」
(ちょっとニュアンスが違うかもしれない・・・ けど 確かこんな内容だったと思う)
オレが 9歳の頃からの3年間の付き合いだから けっこう親密な付き合いだった。
いろんなものを見せるってことが いいかどうかではないんだな。
見せれば見せたで 小さいうちはフォローが必要だものな。

自分の排泄物を見せる っていうことは いろんな意味があることになるな。
見せることによって 自分の健康管理につながることになるものな。
そして 排泄物だろうが何だろうがよく観察する事で 人のものも含めて自分の体から出る当たり前のものとして うんこというものを自覚する。
このことは ずい分大きな意味があるような気がするんだ。
生死に立ち会う ということも同じだな。

特に お産に立ちあったときは 地震の次の日だったから そのショックもあったので 3歳の子どもが受ける出来事としてはどれほどのものだったか・・・・
母ちゃん そうも思ったけど めいっこは 立派に通り過ぎた。
どんなことでもできる限りわかるように 丁寧に説明する姉ちゃんだから 母ちゃん 心配はしていなかったけど
及ばずながら 一生懸命フォローはしたぞ。
そして今めいっこは 妹の誕生でママを独り占めできなくなってしまった。
妹のことは大切なんだけど ・・・
兄ちゃん 姉ちゃんの立場であれば 誰もが通る道だな。
めいっこも 今 その立場を受け入れている段階なんだ。
父ちゃんと母ちゃんに大事にされて 昨日からオレの家に泊まっている。
自分から言い出してな。
いろいろなカラーの人間と接する事で 子どもの幅が広がっていくんだろうな。
とにかく 母ちゃんには考えもつかない姉ちゃんの子育てなんでな みんなに話したかったんだ。

ばあちゃん 姉さんかぶりが取れてるぞ!
小さな子どものいるママたち 子育ては大変だな。
姉ちゃんだって 怒ったり 一緒に遊んだり 試行錯誤の毎日だ。
だけど 限られた期間の創作活動だ。
がんばれな!

これは 草むしりを 手伝っているんだな。
今日は 母ちゃんが 兄ちゃんの家に連れて行って 甥っ子と一緒に遊ばせたんだ。

これ 二人がちょっと険悪なムードのとき。
一緒に遊べることが うれしいくせに すぐけんかをする。

オレの語りの一区切りについて 実際の所どういう風になるのか母ちゃんにもわからないんだな。
オレが死んでしまうまでは なくてはならなかったものだった。
オレとの暮らしが 何倍にも大切で幸せなものになるのに 必要なものだった。
だけど オレがいなくなってしまってから その柱がなくなってしまった感じなのかなぁ。
語りのどんな内容も ふ抜けたものに感じてしまうんだ。
少し 様子を見ながら行ってみようと思っている。
この先 語りたいときに語る ということができるかどうか な。
人間の心というものは めんどうくさいものだなぁ。
やってみなければ 自分でもわからないというんだからなぁ。
あと一つ ばあちゃんについて語ろうと思っている。
このつぎな。
またな!!!
Posted by N子 at 17:11│Comments(2)
│家族
この記事へのコメント
何か…
目からうろこです
自分のうんち君を見せる…なにげに思い付かなそう
でも色々な物を観察して色んな事を感じながら感性を磨くのって本当に大切な事だと思います
うんち君だって何より自分に近いものだし、自分から出た物だし(笑)内蔵の状態だってわかる
お姉ちゃんさんの育て方…何かいいなぁ
って思いました
ジョー君の最期を見せたのも本当に良かったと思う
大切な者の死に向き合い事で…優しい心とか、愛する事とかを学んで行くんですもんね
一番大事な人生の初めの3年間にジョー君がいてくれた事…姪っ子さんにとって一生の宝物ですね
目からうろこです

自分のうんち君を見せる…なにげに思い付かなそう

でも色々な物を観察して色んな事を感じながら感性を磨くのって本当に大切な事だと思います

うんち君だって何より自分に近いものだし、自分から出た物だし(笑)内蔵の状態だってわかる

お姉ちゃんさんの育て方…何かいいなぁ



ジョー君の最期を見せたのも本当に良かったと思う




Posted by さえこ at 2011年05月10日 23:47
さえこさん
私も うんちを見るかどうかを聞いているのを見て びっくりしました。
そして それを当たり前のように見ている孫にも驚きました。
子育てって いろんな可能性を秘めているものなんですねぇ。
孫の3年間に ジョーがいたことは 孫にとって大きなことだった と よく娘とも話します。
はっきりとは覚えていなくても 心のそこに優しさとして残るのだと思います。
家族にとっても ジョーは宝物です。
むくたんも すでに さえこさんご家族にとっての宝物でしょうね。
私も うんちを見るかどうかを聞いているのを見て びっくりしました。
そして それを当たり前のように見ている孫にも驚きました。
子育てって いろんな可能性を秘めているものなんですねぇ。
孫の3年間に ジョーがいたことは 孫にとって大きなことだった と よく娘とも話します。
はっきりとは覚えていなくても 心のそこに優しさとして残るのだと思います。
家族にとっても ジョーは宝物です。
むくたんも すでに さえこさんご家族にとっての宝物でしょうね。
Posted by ジョー母
at 2011年05月12日 16:51
