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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

2011年05月17日

死んだらどうなる・最終章

こういうことは 個人的な事でな 人に押し付けるものではないんだな。

母ちゃんが 子どもの頃に味わった そこはかとない不安感から抜け出るために 自分の半生を使って調べたり考えたりしたあげく ほぼ解決できたことを ただ伝えたいと思っただけなんだ。



人間が死んだ後 どういう過程をたどって向こう側へ行くのか っていうことを ここで語る必要はないと思うんだ。

ただ それについても たくさんの本を読んでみたんだけど 大方が同じ様な内容が書いてあった。

その中で一つだけ ここで語っておきたいことは 肉体から離れて魂だけになったとき それはそれは安らかな満ち足りた状態になる とあったんだ。

体や心が病んでいたものも そのことからすっかり解放されて 軽やかでこの上なく愛に満たされた幸福感でいっぱいになるんだと。

その世界には 相対するものはないから すべてが一体で一つなんだ。



一体 という安心感。

この上ない やすらぎ。

そのことが 母ちゃんにとって一番強烈に心に残っている。

今 自分たちがいる世界は 相対するものがあるから 「経験」 というものができる。

絶対の世界では 「経験」 は出来ない。

相手も周りもなく すべてが一体だからな。

人間は 栄光を体験するために ここにいる。

人間たちよ 栄光を体験するんだ。

ワクワクする 活き活きする 体験をするんだぞ。

どんな小さなことでも ワクワクしてみろ。

オレ 天国から見ているからな。

いつでも 見ているぞ。



さて・・・

なんと言うか・・・・

とうとう この日が来てしまった。

オレが死んだ後 父ちゃんが言った。

「一つの時代が 終わったな・・」

「楽しい犬だった・・・」

母ちゃん ずっと考えてきたんだけど やっぱり一区切りをつけることにしたんだ。

オレから離れて 日常のことを語ろうと思えば いくらでも話題はあると思うんだ。

だけど もしもそれをするなら この 「オレの語り」 の続きではなく まったく別のものとして 新たにブログを始めるべきだ・・・

そう 思ったんだ。



この 「オレの語り」 は ここで区切りをつけて 一つのものとして完結させる。

それが 一番いい と 思ったんだな。

ここに至るまでは さんざん考えて さんざん泣いたんだ。

この 1年8ヶ月の間のことを思うとな どうしても泣けてしまうんだ。

辛かったからではない 悲しかったからではない・・・・

今 アメブロでは まだ ポリスドッグシューズのことを知らないでいて くつしたで散歩をしていて 大変な時期のことをやっている。


そのときは 夢中でやっていたけど 今思い返してみると 胸の中がいっぱいだったのだと思う。

それを この語りにきてくれたみんなに 支えてもらった。

励ましてもらった。

そのおかげで その時期のことも幸せに感じながら過ごすことができた。

そのことを思うと 涙がこみ上げてくる。

北は北海道から 南は九州まで もちろん群馬県中から 海の向うはフランスからも 暖かい心を送り続けてもらった。

どれだけ深く 支えてもらったか・・・



母ちゃん 今 一人ひとりのハンドルネームを思い浮かべて ありがたさの思いを発している。

声は出さなくとも 心で応援してくれていた人たちも 大勢いた。

母ちゃんの 感謝の思いが みんなに届いているだろうか?

この 「オレの語り」 は 温かい心が流れていた。

今 母ちゃんは 「オレの語り」 をして 本当に良かったと思っている。



これからは この間言ったように オレの友達紹介をしていこうと思っている。

「ジョーのともだち」
http://jyonotomodati.gunmablog.net/

まず 事始めに ぽりさんのところのボビーの紹介をしようと思っている。

まだ 一区切りをつけようと決める前に ぽりさんには紹介することの了解をとっている。

母ちゃん できるだけ忠実に ぽりさんの話を再現しようと思って もらったメールやコメントの要点をメモに落としてみた。

それを読んでみたり 写真を見たりしているうちに そのことがとっても楽しくなってきたんだ。

詳しくは 友達紹介のコーナーで語るんだけど ボビーは病気を乗り越えて今を生きている。

他の友達もそうなんだけど 皆 それぞれが物語りになるような 小さな歴史を持っている。

母ちゃん それをみんなに紹介したい。



1年8ヶ月の間に聞いた友達の歴史と みんなとの温かい心の交流を 再び確認する意味でも そのことがしたい。

時間はかかると思うけど 大切に一人ひとりを紹介したい。

オレの この口調はそのままでな。

そして この語りが少しでも 犬や猫の介護をしているひとたちや 相棒を失ってしまった人たちの 役に立てればいいなぁ・・・

母ちゃん そう思っている。




記事総数     559
コメント総数   2428

ここに来てくれた みんな!

1年8ヶ月を 共に過ごしてくれて ありがとう!

またな~!!!
  

Posted by ジョー母 at 15:05Comments(22)

2011年05月04日

続・死んだらどうなる

知っての通り 母ちゃんは 還暦間近のただのおばさんだ。

だから 知りたいことは調べるしかない。

本や 人の話を聞いてな。



調べる時の基準は   ”これを言っている人は 誠実だろうか・・・”

ということで 読み方 聞き方を決めている。

書いている 話している 人間で 判断した。

文章や語り口で 誠心誠意で話しているかどうか 判断した。

大丈夫 と思ったら まずは信用して 読んだり聞いたりした。

そして 新しいことが目の前に現れた時は 一つのことを思いながら目を向けた。



その 一つのこととは 若いころ読んだ本に書かれてあったことだ。

1次元 2次元 3次元 それから多次元について 書かれていた本でな 難しそうだけどそうでもないんだ。



人間やオレたちがいる この3次元の空間にあるものは 面や 線を 認識できるな。

2次元と言われる面のことを 思い描けるな。

1次元の線のことも 理解できるものな。

だけどもしも 4次元の世界 というものがあったとしたら オレたちには理解できない。

それ以上の 多次元の世界についても なおさら理解不能だな。

また 線の世界にいたとしたら 面のことは理解できない。

面の世界からは 空間のことは理解できない。 

今 自分がいる世界から見えるものしか 物事を見ることができない。

だけど その世界だけしかない と 考えていれば 話はそれで終わりだな。

母ちゃんは 未知の世界のこと知りたいわけだ。



だから 「自分の5感で確かめられないことは 受け入れない」 という考え方をしないようにしたんだ。

そういうとらえ方で 人の話や本を読んだんだ。

ただのおばさんとしては かなりの量の本を読んだと思う。

だって 母ちゃんの一生の課題と言ってもいいくらいの ことだったからな。



丹波哲郎も 何冊も読んだ。

そのほかに 外国の人が書いた本も たくさん読んだ。

日本人の大学教授が書いた 論文を本にしたものも全シリーズ読んだ。

とにかく 知りたいことだったから 苦ではなかったな。

そして 母ちゃんのベースになっている本にも そのことが書いてあった。

そうやって 頭の中が出来上がっていったんだ。



もう ずいぶん前に 読んだ本の中に 人間の不安感の究極は 死への不安から来ている・・・・

と 書いてあった。

母ちゃんは なるほどなぁ と 思ったものだ。

だから ○○教 という宗教が存在するんだ。

生き死にに踏み込んで 物事を考えて 本当の安らぎを手に入れるために。

それは 個人で確立したものでも同じことだと思うんだ。

死ぬことに対しての認識を 自分で作り上げたとしたら それも立派な信仰だ。

母ちゃん 死んだ後のことについて書いてある本を 繰返し繰返し読んだおかげで 体の中に出来上がってきたんだ。

死んだらどうなるか ということがな。

みな 誠実で 押し付けがましくない本だった。



知らぬ間に 肉体が終わっても 意識 魂 エッセンス というようなものが残り続ける と 感じるようになってきたんだ。

自分で 自分に 暗示をかけたようなものだな。

世の中に 暗示が働いていることは たくさんあるぞ。

コマーシャルなんか 同じ宣伝文句を繰返し 音楽と映像とキャッチコピーで伝えているな。

こういうことも 暗示と言えると思うぞ。

とにかく 母ちゃんは 死んだらどうなるか という自分の課題を 長い間かかって調べて 取り入れた。 

それを 繰り返し頭と体に入れることによって 自分のものにしたんだな。



死んでみなければ わからないことには相違ないんだけど あの 子供時代の訳のわからない不安感からは きれいさっぱり解放されたんだ。

そして 暗示によって 自分で取り入れた情報が 確信となってきたんだ。

それによって 様々なことに対する考え方が 楽になって来たぞ。


ほれ また 長くなってしまった。

今日は この辺でな。

またな!!!
  

Posted by ジョー母 at 01:02Comments(2)

2011年05月01日

死んだらどうなる

今日の語りは 母ちゃんが いつかは語ることになるんだろうな と 何となく思っていたことなんだ。

その いつかは 今日になった。



オレの介護をしているころは そのことに忙殺されていて 母ちゃんの頭の中は 物事を整理する ということができなかった。

考え方も 実際の物もだな。

ところが オレが死んでから 時間と共に変化してきた。

幾日か前までは そんな余裕はなかったけれど 最近は整理をすることに明け暮れている。

だから こんなものや



こんなもの




そして こんなものが見つかったんだ。



狂犬病の予防注射の案内の葉書。

この葉書が来たとき 父ちゃんも母ちゃんも

「今年は ジョーは 注射は無理だな・・・・」

なんて言っていた。 

本当に 必要なくなってしまったな。





頭の中も いろいろなことを 思い巡らすようになってきた。

どうも 一つ 乗り越えたみたいだな。

オレの過去を アメブロで再体験する というリハビリも効果があったと思う。

オレが母ちゃんのそばにいる と言うより 母ちゃんの中にオレが入っている という感じがしている。

母ちゃんと 同化している と いう感じかな。

だから 母ちゃんの胸の中が いつも温かい気がするんだ。

よかったぞ。





そこで 今日の本題に入るぞ。

母ちゃんは 物心ついた頃から  ”人間は 死んだらどうなるのか・・” という疑問を持ち始め 大きくなるに連れて それは膨らんでいったんだ。

まだ小学校に入ったばかりの頃だったと思う。

母ちゃんの家は いつも両親が家にいて仕事をしていた。

それが たまに 二人とも家にいないことがあってな 妹たちがいたかどうか思い出せないんだけど 母ちゃんの記憶の中では 母ちゃんが一人ぼっちだったんだな。

そんなときは 死 というものを考えてしまって どうにもならないほどの孤独感と不安感にさいなまれて じっとしていられなかった。



家の中を 泣きながら歩き回っていたなぁ。

親を待ちわびてな。

あの 薄暗くなった家の中の 静まり返った空気感は忘れられない。

それは 1度だけではなく 何度かあった気がする。

どうして ”死んだらどうなるか” 考えるようになったのかは わからないんだ。

だけど それ以後 母ちゃんの課題として ずっと探求することになったんだ。

幼い頃は そういう疑問は 親に聞くしかないんでな 両親に聞いてみた。



母ちゃんの父ちゃんは  「父ちゃんは 人間が死んだら 何も残らないと思うよ」

と 自分の意見を言ってくれた。

母ちゃんの母ちゃん 今の施設のばあちゃんは 「そういうことは 死んで見なければわからない」

と 言ったと思うんだ。

母ちゃんとしては そのときはそう聞いたけど それでは納得できなかったんだな。

だけど そのまま 疑問を持ち続けて大人になった。



父ちゃんと結婚してから いろいろな本を読んでみたんだ。

母ちゃんにも そういう 本を読むことが出来る時代が あったんだな。

長くなってきたので 今日は この辺で終わりにするけど 

母ちゃんは 最終的に 人間も動物も 魂と呼ばれるもの 言い換えれば エッセンスとでも言うようなものが残る 

という結論に達したんだ。



母ちゃん どこの宗教にも属していないぞ。

いわゆる 霊感 というものも 持ち合わせていない。

だけど そう 結論付けたんだ。

続きは この次 な。 

今日は またな!!!
  

Posted by ジョー母 at 22:36Comments(4)

2011年01月27日

イノシシ その後

オレ こんな風にして 
水やミルクを もらうんだ。

元気な頃は 自分で外に行って
常に蛇口から流れ出ている 山の水を

好きなだけ飲んだものだ。

今は 母ちゃんからもらうものだけが
オレの 命のかてになる。



午後は オレが鳴いたら
母ちゃんが 自分のそばまで連れて行ってくれた。

夕方まで 母ちゃんのそばで
横になっていたんだ。

時々 母ちゃんも オレの顔に自分の顔をつけて
昼寝をした。




ところで この間の語りの イノシシな
どうなったと思う?

父ちゃんが めいっこを連れて行って 見せた日
父ちゃんが 母ちゃんに報告した。

めいっこは
「昨日は まだ生きていたんだよ・・」

姉ちゃんと 見た日のことだな。

父ちゃんが
「お墓に入れてあげようね・・」

と言うと
「お墓に入れてあげたら 生き返るかねぇ・・?」

何と言う感性だろう。
脱帽  だな。

次の日
母ちゃんが 父ちゃんに聞いた。

「あの子 どうした? あのまんま?」

「あの子って・・?」

「イノシシの子だよ」

「あぁ あれは 奥のほうの イノシシにかき回されている場所においてきた・・」

母ちゃん ピーンときた。

オレのうち 前のほうがずーっと土手になっているんだ。
そこをほとんど イノシシがかき回して歩く。

何かの根っこを探して かき回すのか
はたまた ミミズとかの小動物を探して かき回すのか・・・

とにかく 困っていたんだ。
特に その 奥のほうの場所は 土がえぐられてしまって いつ崩れるかわからない状態なんだ。

そこに あの子を置いてきた。

どこかに埋めるのかと 思っていたら
さすが 父ちゃん 野生的だ。

お墓には 入れずに 
ひっきりなしにやって来て 悪さをする相手を威嚇するために あの子を使った。

それで 来なくなるかどうかはわからないけれど・・・・

母ちゃんは この家に来て こんなことでずい分鍛えられた。
そして 命についての捉え方が 大きく変化した。

人間だって 動物の一部だ。
命をもらって 生きている。

自分で殺生してまでは しないことだけど
あの子の命を 無駄にしないで 使わせてもらったんだな。

またな!!!
  

Posted by ジョー母 at 19:54Comments(4)

2011年01月24日

発信(良い種を)

今日は 奥さんと甥っ子が来てくれた。

めいっこたちもそうだけど
みんな オレへのあいさつは欠かさない。











介護が必要な オレの立場ではあるけれど
この目は 生きることに向かっていると思わないか?










あくびもするしな。



それでも 母ちゃんは 
オレとの別れに備えた覚悟を 少しずつ準備している。

というか 準備せざるを得ない・・・
というほうが 適当かもしれない。

いざ そのときになれば どうなるかはわからないけど
乗り越えなければならない ことではある。

そんなことを もろもろ含んで
オレの語りを 発信しているんだ。

その語りを聞いて 自分のそれと重ね合わせている人が
けっこういるのかもしれない・・・

このごろ 母ちゃん そう思っている。

愛犬や愛猫が まだ若くて元気なうちは 
思っても見ないんだろうけど

過去に そんな経験がある人だっているだろう。
今 まさにその最中の人だっている。

蘭の父ちゃんが 言ってくれた。

「同じように介護をするもの同士 共に 試行錯誤しながら 楽しんでいきましょう・・」


emaさんは 一年近く前に逝ったチッパーのことが 鮮明によみがえっていると言う。

nanapuさんは 死んだプースケを思い出している。
これが プースケの写真だ。

母ちゃん 何だか知らないけど
この写真を見て 泣けてしようがなかった。

きっと 今のオレと重なったからなんだろうな。


さえさんも かつて飼っていたワンコのことを 思い出している と言う。


そして めぐみんさんが 自分のブログで
もう死んでしまった ビンのことを 紹介し始めた。
http://megumin.gunmablog.net/e144002.html
窓の外に見える 白くて 
まるでヤギのように見えるのが ビンなんだ。

この話も 物語を読んでいるようで 心が洗われるんだ。


ものを言わないオレたちと 一緒に暮らすこと

オレのように 家の中で家族と共に暮らすものだけでなく
外でかわいがられて暮らすものだとて 同じことだ。

オレたちの最期まで付き合うということは
今 母ちゃんが味わっている感情を 同じように体験する

と 言うことになるだろう。

人間の介護も 尊厳のあるもので 
オレたちの介護とは 比較するものではないけれど

オレたちの介護にはまた 特有のものがある。

本来 すべての命が持ち合わせている
「けなげ」 を 体と心全体で現すから

介護する側に 深く 優しく 切なく 宝物が残る。

母ちゃん オレが若い頃は たまには怒ることもあった。
だけど 今は いつも穏やかだ。

うれしそうに オレの世話をしている。
確かに オレと母ちゃんの 新しい間柄ができている。

今日の語りの話題は オレたちと人間の
心の交流の 話題だ。

優しく 穏やかで それでいて
命が持つ 特有の 切なさも含んだ 暖かい話題だ。

そのことを知っている人間は
ぜひ それを教えてくれ。

命から発する 心の交流は 世の中に 良い種をまくんだ。

今日の オレの語りからも 良い種が 広がっていきますように・・・・

それから nanapuさんとめぐみんさんの写真を 使わせてもらったぞ。

事後承諾でな。


またな!!!
  

Posted by ジョー母 at 20:44Comments(6)

2011年01月22日

イノシシ

昨日の朝 父ちゃんが Fさんに言っていた。

「F君 車の前にイノシシが死んでいたの
わかった?」

「いえ 気づきませんでした・・」

「そうなんだ 車のすぐ前だったから
気付かなかったのかな・・」

夜になって 今度は母ちゃんに
「おまえ 見た? イノシシ」

「エー? 車の前って・・・ 家においてある Fさんの車の前ってこと?」

「そうだよ」

なんだ 母ちゃん 現場での話だと思って
聞きもしなかったんだ。

今朝 Fさんが車を置く場所へ行ってみた。

父ちゃんと母ちゃんが 木の葉と米ぬかで
作っている堆肥が置いてある すぐそばだった。

イノシシの子供が 静かに横たわっていた。

画面の 左下。





鼻先が まだつやがあった。
かわいい顔だ。

毛並みなどを見ると オレと重なる。


父ちゃんも母ちゃんも いたのだろうに・・・
どんな思いなのかなぁ・・・





じっと見ているうちに 

”生き死には ごく当たり前のことで
命ある者にとっては 当然の成り行きなんだ”

その子が そう 伝えているような気がしてきた。

その子の両親は その事を とうに分かっていたのかもしれないな・・・
理屈じゃぁなく。

母ちゃん そんなことを思いながら そこを後にした。

父ちゃん あの子を どうするんかなぁ・・・?



今日は この話と オレがうんこが出た話を
しようと思ったんだけどな

神聖な命の話と うんこの話を一緒にしたんじゃぁ
くそみそ 一緒 ってぇことになるからな

うんこの話は 別の語りでするからな。

またな!!!
  

Posted by ジョー母 at 14:47Comments(2)

2011年01月07日

オレの命

これは 前にも語ったことがあるけど
オレ 神様が 「もうこっちへおいで」

と言うまで この家の家族と暮らしていくんだ。

あさってには 満12歳になる。
オレより少し姉さんの蘭に やっと追いつくんだ。







今日みたいに寒い日は 腰にカイロを貼ってもらう。

あいあいさんに教えてもらった。
オレの下半身は 麻痺のため循環が悪いからな

ミニカイロを貼ってもらうと
足先まで暖かくなる。

こんなふうに たくさんの人たちから
いろんなことを 教えてもらって今日まで来ている。

オレも母ちゃんも なーんにも知らないから
語りに来てくれる人達からの情報は ありがたいぞ。

車椅子 クツ 肉球のクリーム サプリメント
膀胱に自分でクダを入れて おしっこを採る方法

足の屈伸運動 ドッグフードをふやかすこと
そのほか たくさんのことを教えてもらった。

全部 オレの日常の役に立っている。

これらのことを教えてもらってなければ
今 こんなに元気にいられなかったかも知れない。

そして 辛いとき うれしいときに ともに心配したり 喜んだりしてくれる 
語りを訪れる 多くの人たちの心。

いまや これは オレと母ちゃんのすべての原動力になっている。

これらのことによって 確実にオレ 活力を生んでいる。
もう・・ 不思議であり ありがたくもある。

こうなったら オレの命は オレの家族のものだけじゃぁないな。
オレのことを知っている すべての人達のものだ。

おととしの9月12日から始めた この語り。
そのときから ここまでの道のりは決まっていたんだ。

そうでなければ この語りは始まらなかった。
また 始めたとしても 続かなかっただろう。

オレ これからの命 

父ちゃん母ちゃんと オレの家族と そして オレのことを応援してくれているみんなと共に 
精一杯生きていくぞ!

蘭と共に 生きていくぞ!
Sayaも ついて来い!

またな!!!
  

Posted by ジョー母 at 22:30Comments(8)

2010年12月17日

若い命と老いた命

午前中の オレ。












静かに よーく寝たぞ。
窓辺で 暖かく 気持ちよくなぁ。










昼頃 甥っ子が来た。
奥さんとな。

たちまち にぎやかになる。

若いエネルギーは 華やかだな。
勢いがある。





少しはやめのクリスマスプレゼントをもらって
なおさら 華やかだ。

(はじのほうに オレのお尻が見えるだろう・・
すでに この時点で 主役を譲っているんだ。)


活き活きとした顔つき
張りのある声

体全体で表す 喜びの感情。
どれをとっても 前を向いている。

華やかだな。


たどたどしい口元から発する はっきりした言葉の 一つ一つを 
周りの大人たちが 絶賛する。

もはや オレの出る幕はまったくない。

(ほれ 奥のほうにいるオレにも
注目してくれな)


動と静。
明と暗。

前と後ろ。
広と狭。

今風の考え方でいくと
どう考えても オレのほうが負けている。

だけどな 前にも話した
自分と正反対のものがあるから 自分の状態がわかる・・

という見方をするとな 勝ちも負けもないんだな。

暗があるから 明の状態がわかる。

ただ 明と暗があるだけだ。

オレのほうが 死に向かって近くなっているだけだ。
ただ それだけだ。

人生も犬生も 産まれてから 死に向かって進んでいく。
その 最初の段階と 終わりのほうの段階なだけだ。

「ジョーちゃん ばいばーい・・・」

甥っ子は あどけなく帰っていった。

またな!!!
  

Posted by ジョー母 at 20:33Comments(4)

2010年11月22日

こころ

父ちゃんと母ちゃんが オレを選ぶとき・・
ボクサー犬 という犬種を選ぶとき

いろいろな資料を参考にしたり
名犬牧場というようなところも 廻った。

いろんな犬種が載っている 雑誌もたくさん 見てみた。

その中から ボクサー犬 という犬種を選んだんだ。
それも 二人とも一致した。

このことは 前にも話したな。
「なんでボクサー犬?」http://jyokaisou.gunmablog.net/e89353.html

何冊かの雑誌には
ボクサー犬の寿命は 8~9歳と書いてあった。

父ちゃんも母ちゃんも 10歳まで生きてくれればなぁ
と 考えていたんだ。

それが 来年1月で12歳になる。
オレ自身も よく生きてきたなぁ・・・

と この頃思う。

母ちゃん この頃思うんだ。
オレと暮らしたからこそ受け取ったものがある・・・

とな。

オレから受け取った多くのことがら。
一口には言えない さまざまなこと。

そのことを思うとき 胸が熱くなる。
心のそこから 暖かいものがこみ上げてくる。

ペットと暮らす人間は みな感じることなんだろうな。
オレの家族も 感じている。

オレが 一生の間に発信し続けていることがら。
たとえ その一生が短かかったとしても 同じことだ。

人間の 心の奥底にじわじわと染み入るエッセンス。
それは オレの命から発するエッセンスだ。

それが 父ちゃん母ちゃんの心に届く。
暖かく 熱く 切なく 心に届く。

そして それが オレの語りを通して
たくさんの人たちの 心に届くんだ。

その心が また オレと母ちゃんに帰ってくる。

蘭が使っていた車椅子として・・・
emaさんが教えてくれた ポリスドッグシューズとして・・・

コメントをくれる人たちの 暖かく心強いメッセージとして・・・
声こそは出さないけど 語りを聞きにきてくれて応援してくれている 見えないメッセージとして・・・

心が・・・・
届いている。

この頃の オレと母ちゃんには
そのことが ひとしお 心に染み入るんだ。

ありがたいんだ。

母ちゃん うれしいことに対して 涙もろくなっている。

心のやりとりは
もとは 命から発信されている!


またな!!!
  

Posted by ジョー母 at 20:14Comments(0)

2010年10月19日

名もなきもの

世の中の 名もなきものの中には
美しいものが たくさんある。











母ちゃんは 草 と呼ばれる
そこいらに咲いている 花を

庭から摘んできて 飾るのが好きだ。










「自然のものって どうしてこんなにも
バランスがいいんだろうね・・」

「ただ チャチャッとさしただけなのに
様になっちゃうんだものね」









とくに この花。












庭の 隅のほうにひっそり咲いている。

去年までは 見ても通り過ぎていた
名もなき花。

花の名前はあるのだろうけど










この バラ のように
誰もが知っているものではない。

ただの草 と 思われている
ひそやかな 花だ。










だけど 自然体で
実に バランスがとれている。

母ちゃん 今年は そこに目がいっている。

オレの命と 面と向き合っているからかもしれない。
人知れず生きている命を いとおしく思う。






そして
人間も そうだ。

一人ひとりには 名前があるけど
ほとんどが ひっそりと生きている。

誰もが知っている 有名人は
ほんの一握りの人間だけだ。

だけど それぞれが 自分の境遇のなかで
懸命に生きている。



職場の環境と 闘っている者。

子育てで 闘っている者。

生活を立て直すために 闘っている者。

毎日押し寄せる ストレスと 闘っている者。

そして 自分と 闘っている者。

みんな みんな 美しいんだ。

栄光を 体験するために 生きているんだ。

名前も知らない この花を
母ちゃんが 抱えてきて 花瓶にさして めでているように

人間にも そっと見守っている存在がいる。

大きく ゆっくり 深呼吸をしてみろよ
目には見えなくとも 大いなるものに守られていることを

感じられるだろう・・・



またな!!!
  

Posted by ジョー母 at 22:17Comments(8)

2010年10月14日

オレと母ちゃん・意味

母ちゃんな どんなことにも
”意味づけ” をするくせがついているんだ。

出来事に対して
これは こういう意味があるから

今 自分に起こっているんだな・・・・

っていうふうに 考えちゃうんだ。

辛いときなんか そんなふうに意味をつけると
けっこう 乗り越えられるぞ。

だいぶ前に 「オレの役目」
http://jyokaisou.gunmablog.net/e79101.html

って 語ったことがある。

オレが この家に来たことの
役目(意味)を 考えたんだ。

そして 今 
さらに大きな役目をしているようなんだ。

昨日 介護を受けるようになってからの
オレと母ちゃんの間柄が

さらに深いものになってきた
って 言ったよな。

「オレの役目」 を 語った頃は
主に この家の人間関係にかかわった。

それはそれで 大きな仕事だったんだ。

それから 散歩をすることによって
母ちゃんが 飛躍的に丈夫になった。

考えてみると オレ ずいぶん
大仕事をしたもんだなぁ・・・

今の仕事はな
ほとんど 母ちゃんに対してなんだ。

母ちゃん 両じいちゃんを見送っているんだな。

そのときに 二人の世話はしたけど 
本格的な介護はしていないんだ。

ところが 今 オレに対しては
超本格的な介護をしている。

公の仕事は ほとんど断って
オレの介護に 専念している。

動けないオレの 手となり足となっている。

犬だって人間だって 介護には変わりはない。
手も腰も痛くなるし 感情だって同じだ。

母ちゃんの一生のうち 本格的な介護を
経験させてもらっている・・・

そう考えているんだ。

母ちゃんは その年齢にふさわしい
たくさんの経験を積んできた。

そして それを 自分の血や肉に代えてきた。
もっともっと いろんな経験をしたいんだ。

経験は 人間の幅を広げる。
人間関係にも 大きく影響を与える。

だって 同じ経験をしていれば
人の話がわかってやれるもの。


そして もう一つの大きな意味は

この オレの語りだ。

この語りは オレがいなければ
ありえないことだった。

この世界とは 無縁の生活をしていたことだろうな。

なぜだか オレの語りの最初から
このスタイルは決まっていた。

オレが語ること。
そして この話し方。

初めから すっと出てきた。
ちょっと不思議なんだ。

語りをはじめてから あれよあれよという間に
オレは 歩けなくなり 衰えが始まったんだ。

どう考えても 意味がある気がする。

母ちゃんが この語りをすることによって
たくさんの人たちと知り合えるように。

この語りをすることによって 自分の気持ちの整理ができるように。

インターネットを 身近なものに出来るように。

オレとの思い出を 形あるものにできるように。

オレの語りをはじめたんだ。

またな!!!
  

Posted by ジョー母 at 22:48Comments(4)

2010年10月13日

オレと母ちゃん

アメブロに載せている オレの語り
「オレと母ちゃん」 って言うんだぜ。

もちろん 家族は切っても切れない
大切な存在だ。

だけど オレが弱ってきてからの
母ちゃんとのつながりは

それまでと比べると 
それよりさらに 深いものになっている気がするんだ。

介護を受けるオレと 介護をする母ちゃん。

この関係は 
オレが元気でいるときとは また違った付き合いになっていると思うんだ。

コミュニケーションをとる時間は 格段に増えている。

そして 母ちゃんがオレに触れている時間も 数倍に増えている。

心の交流は それまでとはまったく違った ステージでの交流だと思う。

そして オレが見ているのは
常に母ちゃんだ。

家族がいても 母ちゃんが外に出ると
ずっと ないている。

目も 耳も 勘も にぶくなっているけど
その分 母ちゃんに一直線だ。

母ちゃんが 大好き・・・
それはもちろんだけど

それを超えた 深い結びつきを感じるんだ。

母ちゃんは それを 充分承知している。

もはや 母ちゃんの人生にかなりの比重で
関わっていると 思っている。

オレにしてみれば 一生の間 この家族と暮らしたわけだけど

母ちゃんにしてみると 一生の中の 一部分の間だ。

それでも この先の人生を 大きく左右する 出会いだったと思っているんだ。


そのことは 介護をするようになってから
また 深く感じている。

いとおしさと 切なさと はがゆさと 心細さと・・・

そして それに勝る

オレの幸せな一生に
最後まで 深く関われることの 大きな喜びを 感じている。

これからも オレと母ちゃん
二人三脚で 進んでいくんだ。

父ちゃん ばあちゃん 兄ちゃん 姉ちゃんの
応援を もらいながらな。


またな!!! 
  

Posted by ジョー母 at 15:42Comments(2)

2010年10月05日

最期

これ 今日のオレ。

午前中は こうやってずっと寝ていた。

その間に母ちゃん 友達の家に
行ってきた。










舞茸としいたけが出たから
とりにおいでよ・・・

と 声をかけてくれたんだ。

ずっと前に 母ちゃんが泣き言を言って
いい話を聞いて いい気分で帰ってきた

友達の家。

今日も シーズーが死んだときの話をしていた。

とりすがって ずっと泣いていた話だ。

「泣き言」
http://jyokaisou.gunmablog.net/t110672

もう何年も経っているのに
目をうっすら赤くして 話してくれた。

人間でも 犬でも猫でも
その最期は 一世一代の大仕事になるわけだ。

その者の 一世一代の別れの仕方を
あとのものに 残していくことになる。

母ちゃんの歳になると
ずいぶんとたくさんの 最期を見てきた。

どの最期も みな その者の締めくくりを
表してくれていた。

みな 崇高で 尊い最期だった。

前にも話したけれど ここの家のじいちゃんは
あっという間に 逝ってしまったんだ。

「じいちゃんが逝くとき」
http://jyokaisou.gunmablog.net/t106301

それまでは なんだかんだと
手を煩わされたような気がするけど

逝くときは 「いざさらば!」
っていう感じだな。

後から考えると 
そうか あれがじいちゃんの逝き方なんか・・・

なんてな 思えるんだな。

母ちゃんのほうのじいちゃんは
8ヶ月の入退院の繰り返しで

家族で交代で 付き添いをした。
今思えば うん あれがじいちゃんの逝き方だな・・・

って 思える。

さっきの シーズーは
いつまでも心に残る逝き方をしたんだな。

それが そいつのスタイルだったんだろうな。

聞けば オレの語りに来てくれている人たちも
老犬や老猫と暮らしている人がけっこういるんだな。

よく 小さい子供には
死んで行くものの最期のときは見せない

という 人間がいるけど
母ちゃんは めいっこやおいっこにも

オレとの別れを ちゃんとさせたい
って 思っているんだ。

命あるもの 必ず終わる・・・
という 万物の摂理を

理屈だけではなく 体で味わうことを
させたい と 思うからなんだ。

悲しみや寂しさも伴うだろうけど
ちゃんとした別れをするとしないとでは

その後の人生に 大きな違いが出てくるだろう。

その日がいつくるかはわからないけど オレも みんなにちゃんとお別れをして

あっちへ行きたいと 思っている。

死は どんな最期でも 崇高で 尊いものだ。

(車椅子の3枚の写真はな
今日のものだ。 
いつものパターンだったけどな。)



またな!!!
  

Posted by ジョー母 at 16:25Comments(4)

2010年09月14日

因果な命

オレの家な 暑くなると戸が全開になる。
風通しをよくするんだ。

そうすると オニヤンマや蜂
それに アブが入ってくるんだ。

オニヤンマや蜂は かまわなければ
何もしないけど

アブは そうはいかない。

知らないうちに 体のどこかにとまって
かじるんだ。

それが 痛いんだ・・・

そのアブに オレ どういう訳か 
ねらわれるんだな。

けっこう かじられている。

母ちゃん アブを見つけると
目の敵にする。

「あんたに直接 恨みはないんだけど
ほっておくと かじるだろう?」

「蜂さんは いじめたりしなければ何もしないけど
あんたは 何もしないジョーちゃんや私たちをかじるんだもの・・」

なんて言ってな 
アブを見つけたら最後 必ず殺す。

失敗すると アブのやつ 必ず
仕返しに来るからな。

執念深いぞ。

やるか やられるか なんだ。

この頃じゃ 母ちゃん とまったやつを
手でたたくんだ。

ちょうど 蚊をたたくようにだ。
すごいぞ。

たたいてから 思うんだ。

「なんと因果な 命なんだろう・・」

無条件で 攻撃されるんだぞ。
アブにしてみれば いい迷惑だ。



無条件で攻撃される といえば
雑草も そうだな。


因果な命 だな。












ジャガイモなんかは ほいほいされるのに

雑草は 目の敵だものな。




目の敵・・・
ではないかもしれないけど

俺たち犬や 猫たちも
死にたくないのに 強制的に殺されるものが どれだけいるか・・

考えると 辛くなる。

そして 人間たちも 
生まれていくらも経たないのに

虐待で 心身を痛めつけられているもの。
苦しさのあまり 自ら体を打ち付けて

死んでゆくものもいるという。

なんだこりゃ。

何なんだ 今の世の中。

考えると 辛くなる。
だけど 避けないで 直視しなければならないんだ。

辛くても 直視して 考えなければならない。

常に考えているんじゃ 身が持たないから・・・
でも 時々 立ち止まって 考えよう。

どうしたらいいか・・・・な。


またな!!!
  

Posted by ジョー母 at 23:55Comments(8)

2010年08月07日

道先案内人

母ちゃんな 姉ちゃんのことを
道先案内人・・・

と この頃思っているんだ。

もとろん 姉ちゃんは オレにとっては姉ちゃんだけど
母ちゃんにしてみれば 娘だから

面倒もみたし心配もした。

だけどな 物事の節目節目で
母ちゃんのための 力になって

方向を 示してくれているんだ。。

今でも信頼している 歯医者を見つけたのも 姉ちゃんだ。

何をどうしても やめることが出来なかった 
煙草。
姉ちゃんのおかげで やめられた。

母ちゃん やめられないことを思うと
ゾッとしたりした事もあったんだけどな

すっぱりと やめられたんだぞ。
今年の暮れで まる3年になるな。

それから この グンブロ。

ブログをするなんてこと まったく頭になかったから
どう考えても 自分ひとりじゃぁ 

オレの語りはなかっただろうな・・・

グンブロ・・・
何か 風呂の関係の話かな?

なんてことを 思ったりしたもんだ。

その他にも じいちゃんが 入退院を繰り返して
大変な頃 何だか知らないけど

こっちに来ていて 母ちゃんの補佐を
してくれていた。



それから 母ちゃんな  兄ちゃんの奥さんとも
深いつながりを感じるんだ。

何だか 助け合っていけそうなつながり。

血のつながりとか 関係なく
見回してみると あるものだぞ。

自分のために それぞれが持ってる 役目がな。


たとえ その人を嫌いだとしても
自分のために 役目を果たしてくれている人間が

ちゃんと いるものだ。

母ちゃんにとって 姉ちゃんは
道先案内人。

それしかないな。

オレの役目は 前に語ったな。
「オレの役目」
http://jyokaisou.gunmablog.net/e79101.html

その他に 大きな役割があったことが わかった。

この 語りの媒体としての 大きな役目だ。

こりゃぁ ちょっと 長くなりそうだから
またの機会に 語ることにするかな・・・


またな!!!
  

Posted by ジョー母 at 14:04Comments(4)

2010年06月17日

けなげ

このバラはな 弟の奥さんが 母ちゃんにくれたんだ。
もらったときは 活き活きしていて 葉っぱも花も

元気いっぱいだった。

だけど・・・・
そのうち みるみる葉っぱがなくなってきて

花も 無くなっちゃったんだ。

母ちゃん こういうの得意じゃないからな。
それでも 鉢から出して 土に植えてやった。

どういうわけか 何年たっても あまり葉っぱが出てこないんだ。
そのうち 丸坊主になっちゃうんだな。

それでも・・・・
小さい赤いバラの花が 一つだけ 咲くんだな。

毎年。
ほとんど 誰にも見られないところで。

けなげだなぁ・・・・






近所のおばさんにもらった 朝鮮人参。












今年は こんなに増えている。

なにも かまっていないのになぁ・・・



命あるものの本質は ”けなげ” なんだ。
自分が生きることに向かって・・・・

進むんだな。

人間も 動物も 植物もな。

どんなに過酷な状況に置かれても
生きるために ひたすら進むんだ。

俺たち動物は 魂の目的を生きる。

人間も同じだ。
だけど 人間は 精神も体もある。

精神と体の目的は ひとつ。
魂の目的のために 健やかに生きること。

体は 健康に生きるために 一度だって休んだことはない。
精神は 健康に保つために どんなことだってする。


オレは 足から血が出ようが しっぽがすれて
血が出ようが 本能をつらぬく。

精一杯生きる・・・
という 魂の目的のために

前足だけでも 外へ出る。
そして 排泄をする。

父ちゃんも母ちゃんも その姿を見るたびに
胸をうたれる。

畳が 血でよごれても たまげない。
オレの けなげさに 胸がいっぱいなんだ。

「がんばれ! ジョー!」

心から応援している。

オレ これからも 精一杯生きていく。

けなげにな。


またな!!!
  

Posted by ジョー母 at 12:02Comments(6)

2010年06月09日

広がる縁

素性も知らない。
どんな顔かも知らない。

男か女かも 究極には知らない。
そんな人達が 付き合いが出来る場所。

この ネットの世界。
母ちゃん つくづく不思議で面白い世界だと思うんだ。

そもそもは 姉ちゃんに グンブロのことを教わって
”コメントをもらったら 返事は必ずすること”

なんて言われただけで どうにかこうにか
自分で続けている。

思えば はじめて まこさんのブログに書き込みをした。
どきどきしたっけなぁ・・・

そして グンブロのほかのブログで はじめて見た
「ボクサー犬ジョー」 の 文字。

おどろいたなぁ・・・・
それから続いている ジョーママさんとナッセリーさんとの 付き合い。

これがジョー。
もう おなじみだな。






読者第1号になってくれた ラビィ母さん。
ラビィの様子の ほとんどが オレと同じで

何度も 笑ったなぁ・・・・

これが「ラビィ」。
はじめて登場する。

やっぱり 女の子はかわいいなぁ。


そして 母ちゃんが辛い時期。
オレの足が悪くなってきた頃。

その寂しさを うめるつもりだったのかなぁ。
あまりのぞかない 他の人のブログを さまよっていた。

何人かの 犬と暮らしている人のブログをのぞいて
そのうち aruceさんのブログにめぐり合ったんだ。

なんだか 暖かく感じて 思わずコメントを入れてみた。
そしたら 返事を書いてくれて オレの語りにも来てくれた。

それから 付き合いが続いている。

これは 「アルス」。
aruceさんと暮らしている。

もう10歳が過ぎている。
オレと同じ いぶし銀だな。

だけど まだ散歩が出来ているんだ。
アルス がんばれよ!

aruceさんのところから たくさんの人が オレの語りに来てくれている。

そのなかで Sayaママさんという人がいる。
Saya という 女の子のボクサー犬と暮らしているんだ。
これが 「Saya」。

Sayaも 9歳の誕生日を迎えたばかりなんだ。

何度か コメントのやり取りをして 
いろんな思いをしてきたこともわかった。

そのSayaママさんは フランスからオレの語りに来てくれていた。
つい最近 そのことがわかったんだ。

グローバルだなぁ・・・

さえさんと言う 若い女の人も むくたんという
若いボクサー犬とくらしている。

よく オレの語りに来てくれるんだ。

その他にも たくさんの人達が応援してくれている。

コメントで 励ましをくれる人達。
会ったことも 言葉を交わしたこともない人達。

見えないけれど 確かにつながっている多くの人達。
その人達の心が 応援が ひしひしと伝わってくる。


そして グンブロの仲間。
いろんな人達が いろんな情報を教えてくれる。

詳しくのぞくのは限られちゃうけど 
大勢の 心強いグンブロ仲間。


この ネットの世界は 仮想なんかじゃない。
人間の心に 厳然として存在する。

現に 母ちゃんは 辛い時期をみんなのおかげで
乗り切ることが出来たんだ。

家族にも 表現しないことを
この場で オレの語りで表現してきた。

そして 聞いてもらってきたんだ。
その ありがたみは計り知れない。

この場がなければ どうやって 切り抜けてきたんだろうなぁ。

どんなことも つながっている・・・
そう考える母ちゃんだからこそ 

このつながりが 不思議であり 当然であり ありがたいんだろうなぁ。

今日は 無断で 他のボクサー犬の仲間の写真を載せてしまった。
この語りで 事後報告するぞ。

またな!!!
  

Posted by ジョー母 at 18:14Comments(8)

2010年06月04日

来るものこばまず 去るもの追わず

母ちゃんが生きていく上の 大原則なんだ。
”来るものこばまず 去るもの追わず”

出来事にも 人間にも 当てはめている。

自分に近寄ってくる事や人。
縁があるから 来るんだものな。

こばまずに 一応心を開くんだ。

状況と自分の精神状態とで
拒まざるを得ないときもあるけど

そういう時は 断る。
相手の都合じゃなくて 自分に重心を置く。

断れない出来事も 
断れない間柄の 人間関係もある。

それは 自分との戦いをして
受け止めることになる。

受け入れなくてもな。
受け止める。

そのうち それも終わる。

事としだいによっては 
切っても切れない 間柄でも 切らなければならないこともある。

親子の間で 虐待なんかがある場合だ。
一時的に 切るんだな。

それでも 
親子 という間柄は 切れないな。

広い世の中 来るものは拒まない!


そして 去るもの・・・・  
追わないんだ。
精神的にだぞ。

去ること。 
出来事も人間も。

これは 自分に必要がないんだ。
もう 終わりのことなんだ。

必要なら また 現れる。
去っていく人間を うらんだり憎んだりすることは


追っていることになるな。
暖かい想いなら 自分のためになるけど

その反対の想いは ためにならない。
時間がかかっても きれいさっぱり手放すことだ。

かえって 相手が心配になるくらいにな。
しっかり自分に言い聞かせれば 必ずできる。

”来るものこばまず 去るもの追わず”


またな!!!
  
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Posted by ジョー母 at 10:52Comments(4)

2010年05月29日

太陽と月

太陽は昼間 見える。
月は夜 顔を出す。

太陽は明るい。
月は暗い。

太陽のような人。

華やかで 人付き合いが上手で
明るく 話題が豊富。

人間は こんな人が素敵だと思う。
こんな人になりたいと思う。

そういう人の周りに 人が集まる。


反対に 地味で 人中が苦手で
暗く 話がへた。

人間は こういう人は世の中に向かないと思う。
自分にそういう側面があっても

それを負の部分だと 思いたがる。



生命に 負の部分はないんだ。
生命は それだけで前を向いている。

命そのものが 前向きなんだ。


月は 暗い夜空に顔を出す。
冷たい光を はなっている。

人々が寝ている間に 姿を見せる。
地味だな。

だけど・・・・
月を見つめていると 心が静まる。
自分の内側に 目が向いてくる。


太陽ばかり追いかけていると 疲れる。
月の冷たさにも 触れたくなる。


両方大切。
両方必要。


人間も・・・・・
両方大切。
両方必要。



またな!!!
  

Posted by ジョー母 at 12:45Comments(2)

2010年05月10日

自分との戦い

母ちゃんのすぐ下の妹が中心になって 
施設のばあちゃんの世話を してくれているんだ。

母ちゃんも経験があるけど 介護というのは
大変なことだ。

いくら 病院や施設にいるからと言って
大変なことには違いない。

母ちゃんは 妹と電話でよくその話をする。
つい先日の話。

ほれ   ”必要だった”
http://jyokaisou.gunmablog.net/e96163.html

に 出てきた 妹の知り合いの人。
Yさん っていうんだ。

妹がYさんに 介護の愚痴を話した。
Yさんは 2頭の犬を亡くして

今 14歳の病気の犬と暮らしている。
そればかりではなくて 自分の両親の介護を

おそらく10年以上にわたって 一手に引き受け
心を尽くしてやってきたひとだ。

その両親も 最近亡くなった。

「T子 それもみんな 自分との戦いだよ。」
と 言ったそうだ。

Yさんが言うから 説得力がある。

妹は その言葉が 心の中にしみわたった。
そして 母ちゃんの心にも 静かに深く届いた。

”自分との戦い”
わかっていたことなんだ。

でも 日々の暮らしに追われていると
忘れてしまっている。

誰だって 思い通りにならないことは あるものだ。
そのことを 知らず知らずのうちに

その対象に思いを向けて 怒ってみたり うらんでみたり。
つい 闘っちゃうんだな。

その対象を自分に向けて ”自分との戦い”
と 考えてみると 勇気が湧いてくるものだぞ。

その出来事に 自分がどこまで闘えるか。

たぶん・・・・ 
そう生きたほうが カッコいいだろうな。

母ちゃん 改めて その言葉を心に刻んだ。

妹を通して 届いた Yさんからの言葉。
Yさんを通して 届いた 見えざるものからの言葉。

この縁を大事にして行こう・・・・・





またな!!!
  

Posted by ジョー母 at 11:36Comments(6)