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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

2023年04月14日

明日から始まる

人には必ず生まれてきた意味と この世での役割があると思う
何の意味もなく役割も持たずに生まれてきている人は 一人もいないのだと思うんだ。


どうもこんなふうな言い方をすると 敬遠されてしまうのかもしれないんだけれど
オレとおふくろのの役割は どんな状況になろうともこれを言い続けていくことなんだと思うんだ








「あなたに贈る30日のメッセージ」でも伝え続けているけど
物事を達成するためには「あきらめないこと」が大切なんだなぁ


一人一人が自分が生まれてきた意味について 
自分の人生でやるべき使命について考えることは とっても重要な事だと思うぞ


おふくろの発信力はかなり少なく限られているけど あきらめずにやっていこうと思っている
(先日も久々にインスタグラムに動画のお知らせを投稿するため試行錯誤したけれど とうとう投稿できなかった)


動画の発信もその一環としてのことなんだな
「あなたに贈る30日のメッセージ」https://youtu.be/ujp0EhlOOCY


あした朝6:00から30日間の心の旅が始まる
自分に向き合う時間が取れるといいんだけどなぁ


最後に すべての人が輝けますように・・・
  

Posted by N子 at 16:31Comments(0)

2023年04月11日

あなたに贈る30日のメッセージ

オレと暮らしたことによって おふくろの人生が大きく変わったと言えるんだなぁ


東京のカウンセリングの学校に通い学んだこと YouTubeに挑戦したこと 
これらはすべてオレと暮らしたことからなんだもの


オレたちのような弱い動物たちが痛めつけられない世の中に
少しでも近づくように という願いがおふくろの中に生まれたことが始まりなんだもの


おふくろはずっと 何だか毎日やる気が起きなかったり 
自分はダメだと考えてしまったりする
人に向けて動画を送ってきた


「生きづらい人」のシリーズでは 30分くらいの時間をとった動画を送ってきたけど 
今回は5~10分くらいの気軽に観てもらえる時間で作成してあるんだ


誰かの役に立てたとしたら おふくろはもちろんだけどオレもうれしいんだなぁ


https://www.canva.com/design/DAE1Vd3_3ok/wx8670n76Pg8yA5FYSUC4Q/view?utm_content=DAE1Vd3_3ok&utm_campaign=designshare&utm_medium=link&utm_source=viewer


「あなたに贈る30日のメッセージ」


最後に  「すべての人が輝けますように・・・」
  

Posted by N子 at 12:28Comments(0)

2023年03月21日

死生観について

「死生観」だなんていうと敬遠する人が多いかもしれない
なんか 空恐ろしい気がするかもしれない


生きること 死ぬこと に対する考え方 ということだもの
ちょっと大げさになるし 考えるのは大変 と思うかもしれない


だけどなぁ 今こそ それぞれの人間が
「死生観」について考えるべき時なのではないかと思うんだなぁ


おふくろが子供のころ そうさなぁ 小学校1~2年生のころから
小学校を卒業するくらいまでの時期は


ずっと 「死ぬこと」の恐怖にさいなまれていたんだなぁ
”人間が死んだらどうなるのだろう?”  ってなぁ


まだ幼い子供だから 本などで情報を得ることもできなかったしなぁ
ただただ 恐ろしかったんだ


でも知りたいものだから 親に聞いてみた
「ねぇ 人が死んだらどうなるの?」って


親の方もなぁ 子供が真剣に聞くものだから
それなりに真面目に答えてくれたんだ


「父ちゃんは 死んだらそれっきりだと思う」
「何もなくなると思うぞ」



「え? 何もなくなる?」
おふくろは 真っ暗闇の中にいる自分を想像してしまった


母親は
「そんなの死んでみなければわからないよ」 と答えた


その答えも おふくろにとっては恐ろしいものだったんだ わからない ってこともなぁ
だけど そのころのおふくろが情報を得るすべは親に聞くくらいしかなかったからなぁ 


子どもながらに ずっと悶々として生きてきたんだなぁ
おふくろの父親と母親の死に対する考え方も 「死生観」のうちだと言える


「死生観」は それぞれの人間が独自に持つものだと思うから これが正しい っていうものはないのだと思うんだ
だけど 今の世の中ほど 人間が「死生観」を必要としている時代はないのではないだろうか?


「死生観」は誰かに教わることではない 一人一人が調べたり考えたりしながら 自分なりの答えを探り出していくものなんだ
だから 面倒くさいし 特に考えなくたって生きていけるもの つい流してしまうこともあるだろう


でも それがあるとないとでは 人生が全く違ってくる
「生きること」 「死ぬこと」 について自分の考えをもっていると


おそらく 強く生きていけるんじゃないだろうか?
それに あまり迷わなくなると思う


人間は(自分は) 何のために生きているんだろうか?
死ぬって どういうことなんだろうか?


って 考えることは大切な事なんだなぁ だって オレたちと違って人間だからなぁ みんなはなぁ


おふくろの幼いころは そのすべてが死に対する恐怖だけにおおわれていたわけではなかったけれど
幼な心に 恐怖におびえていた自分を思い出すと 今でもかわいそうだったなぁ と思ってしまう


だけど あれがあったから その後の人生も 生きることと死ぬことについて考え続けることができた
おふくろにとっては なくてはならない人生の経験だったのだと思うんだなぁ


人間たちよ 恐れるなかれ
「生きること と 死ぬこと について考えることを」 
   なぁ?


最後に
すべての人が 輝けますように・・・


  

Posted by N子 at 23:06Comments(0)

2022年11月26日

一仕事



おふくろは先日 一仕事を終えた。
「生きづらい人へ」という動画のシリーズが完了したからな。


全部で50回に及んだシリーズだったんだ。
おふくろがこれに取り組んだいる間は 常にそのことが頭から離れなかったんだなぁ。


一つ一つのテーマに どんな話をすればよいのか よーく考えていたものなぁ。
だから それが終わって今は一段落っていうところなんだ。
一仕事終わったなぁ ってな。


ただな このシリーズは気軽にみんなが観るようなテーマではないので 視聴回数というのはほとんど伸びていない。
限られた人たちにだけ届いている っていうところなんだなぁ。


それでも続けてこられたのは おふくろが自分の信念に従ってやってきたからなんだと思う。
周りの様子に振り回されない自分 というものが育ってきているからなんだと今のおふくろは考えているんだ。


昔のおふくろは ほとんどのことを途中で諦めていた。  どうしてだったんだろうなぁ?
きっと自分に重心が置けてなかったんだと思う。  周りに重心がありすぎて自分の中に焦点が当たってなかったんだと思う。


だから 周りの影響によって自分の行動が左右されていたんだと思う。
年齢を重ねてくるにしたがって 自分が何のために今を生きているのかが少しずつわかってきたのかもしれない。


それと 「自分に起こった出来事に大きな意味を見つける」という 「生きづらい人へ」のシリーズの中の話と
関連があるのかもしれないなぁ。


「生きづらい人へ」の後半には オレのフェルトのフィギュアも登場しているんだ。
おふくろが今の活動をするにあたって オレの存在は外せないものなぁ。


「生きづらい人へ・50」
なんか おふくろ自分ののことばかり話している感じなんだけど 時間があったら見てくれなぁ。


最後に

幼い魂や 弱い動物たちが 痛めつけられない世の中になりますように

弱いものを傷つけることで 自分を保たなければならない人間たちの心が

安らかになりますように 心から祈る

  

Posted by N子 at 12:11Comments(2)

2022年11月16日

心と体はつながっている


人間悲しいことがあると 自然に涙が出る
腹が立った時は 頭に血が上る


うれしいときは 自然に笑顔になる
楽しいときは 踊りたくなる


ほらな 心と体はつながっているだろう?
心の状態は そのまま体にも表れるんだなぁ


ところで この「心が体に影響を与える」っていう順番が 
逆の場合だってあるんだ。
「身体の状態が心に影響を与える」 っていうな そういう順番だってあるぞ


だってほら 嘘笑いでも笑っているうちになんとなく楽しい気持ちになってくることだってあるだろう?
「笑いヨガ」っていうのもそれだものな   「ガハハハッ・・・・」って笑っているうちに 
落ち込んでいた心が  なんだかうわむきになったりするものなぁ


頬の筋肉を上げるだけでNK細胞が増えるそうだ  NK細胞って 「ナチュラルキラー細胞」っていって 
がん細胞を攻撃してくれるという ありがたい細胞なんだなぁ 


頬の筋肉が上がると 脳は ”あ 今笑っている” と錯覚を起こすんだな  ”何かたのしいことがある・・・”  ってな  
特に楽しいことがなくても ちょっとだけ笑顔になっていれば NK細胞が増える  こりゃぁ やらないでいたらもったいないなぁ


よくスポーツ選手がルーティンと言って ここぞという時にある動作をする これも同じ 心と体がつながっているから 
一つの動作をすることによって その時必要な心の状態になることができるんだなぁ


一つの動作をしながらイメージを浮かべる 「やるぞ!」 というイメージ
それから 「リラックスした」イメージとかな
それを繰り返して動作とイメージを結び付けておくんだな  
それをいざという時に使うんだ


身体の動きが 心に変化をもたらすということ
なぁ? 心の状態が体に反映するばかりでなく 
体の状態が心に影響を与えることも十分あるってことなんだなぁ


おふくろは時々思い出し笑いをする 
おかしかったことをいくつか用意しておいて それを思い出しては笑うんだなぁ
時には 涙を流しながら笑うことだってあるんだなぁ


そういう時は ”NK細胞が増えているぞ” って考えるんだ
それからルーティンだって なにもスポーツ選手だけがやるものじゃぁない
スポーツ選手以外の人間にだって使えることだもの


自分なりのルーティンを考えて 生活に取り入れてみるのもいいかもしれないなぁ
人間 単純でいいんだ なぁ?


最後に

幼い魂や 弱い動物たちが 痛めつけられない世の中になりますように

弱いものを傷つけることで 自分を保たなければならない人間たちの心が

安らかになりますように 心から祈る





  

Posted by N子 at 22:47Comments(0)

2022年10月30日

自分に起こった出来事に大きな意味を見つける

おふくろは今 再び動画を撮っている。

「アダルトチルドレン」のシリーズの続きをな。


中でも 「自分に起こった出来事に大きな意味を見つける」
という話は かなり重要な内容だと思うんだ。


今の自分が過去の出来事をどうとらえるか 
それによって未来が決まってくるんだなぁ。

この話は 「アダルトチルドレン」 という人に限ったことではなく 
すべての人に通じる意味深い話だと思う。


今のところ そのことを知らせる手段は このブログとホームページからラインでつながった人たちだけにとどまっているんだなぁ。
だから ここに知らせておくぞ。
なぁ。


「生きづらい人へ・39」

最後に

幼い魂や 弱い動物たちが 痛めつけられない世の中になりますように

弱いものを傷つけることで 自分を保たなければならない人間たちの心が

安らかになりますように 心から祈る


  

Posted by N子 at 22:39Comments(0)

2022年10月10日

グリーフワーク

「グリーフワーク」ってな 失ったものに対して なげく作業のことなんだ。

多くの場合は 大切な人が死んでしまったことによる喪失感や深い悲しみを
なげくことによって 心を癒していくことにつなげていくんだなぁ。


おふくろは オレが死んだあと深い喪失感と悲しみに包まれて
いつまでもいつまでも そこから立ち上がれなかった。


だけど それを見かねたおやじがな オレが使っていたベッドやら 布団やら
その他のたくさんのものを おふくろが見ている前で全部燃やしてしまったんだ。


おふくろはそれを見ながら 声をあげて泣いたんだなぁ。
うんと辛かったんだものなぁ。


もう じっとしていられないほどつらくてなぁ
たまたま来た郵便配達の人に ”ジョーのものを燃やされてしまったぁ” って泣きながら言ったんだ。



ところが それがすっかり燃えてなくなってしまったらなぁ 
不思議なことに悲しみが少し和らいだんだ。


これは おふくろの親が死んだとき火葬場で 悲しくて悲しくて仕方がなかった時になぁ
骨になった親と対面したとき感じた感覚と 同じだったんだなぁ。


肉体がこの世からなくなってしまって 心に踏ん切りがついたということなんだろうか?
不思議なものだなぁ。


オレは 火葬ではなかったから おふくろの心はその場面での踏ん切りはつけられなかったのだろう。
だから オレに関係したものを処分したことで 同じ心の状態になったのかもしれないなぁ。


だからといって おふくろの心が完全に 喪失感とおさらばしたわけではなかった。
時間薬というけれど 時がたたなければ解放されない想いというものもあるものなぁ。


あの頃は カウンセリングを学ぶずっと前だったから
「グリーフワーク」 なんて知らなかったけれど


家族 特におやじとなぁ オレの話をたくさんたくさんしたものだった。
あれが 「グリーフワーク」 だったなぁと おふくろは今思うんだ。


それにあと一つ追加するとすれば 「手紙を書くこと」 だとおふくろは思っている。
オレに向けた手紙 オレに直接気持ちを書くっていうこと。


きっと あとからあとから気持ちが湧いてきて すごくたくさん書いたろうと思う。
それを全部書き出すんだなぁ。


おふくろ オレに対する気持ちは いやというほどおやじと話し合ったけれど
オレに直接書くことで おふくろの心はもっと解放されたろうと思うんだ。


もしも今 オレの立場と同じ相棒を亡くしてしまった人がいたとしたら 
ぜひやってみてほしい。


感情を外に出して・・・ (つまり泣いていいんだ)  
言いたいこと 言いたかったことを心から出してみな?


心が整理されて ずいぶん楽になると思うぞ。
「生きづらい人へ・15」(グリーフワーク)
この「グリーフワーク」 は生きづらい人に向けてのものだから 今日の話とはちょっと違うかもしれないけれど
興味があったなら のぞいてみてくれなぁ。


最後に

幼い魂や 弱い動物たちが 痛めつけられない世の中になりますように

弱いものを傷つけることで 自分を保たなければならない人間たちの心が

安らかになりますように 心から祈る


  

Posted by N子 at 15:28Comments(2)

2022年10月06日

アダルトチルドレンって何?

世の中には「アダルトチルドレン」って言っても どういうことだかわからない人も大勢いるだろう。

おふくろの動画では 「生きづらい人へ」 と
 「一人で頑張っている社長さんへ」 という二つのシリーズを配信している。


この「生きづらい人へ」というのが「アダルトチルドレン」のことに
なるんだな。


さあて それじゃぁ「アダルトチルドレン」ってどういう事なんだろう?
って思う人もいると思う。


「生きづらい人へ」の1回目の動画で 
それについては話しているのだけれど
ここでちょっと話しておこうと思うんだ。


「アダルトチルドレン」については 多くの人たちに理解してもらう必要があるっておふくろは考えている。
これから先の世の中が生きやすく変わっていくためには このことを一部の人たちだけが知っているだけでは難しいと考えているんだ。


みんなで共有してみんなで考えていくべき 社会の中の共通課題だと思っているんだなぁ。
だから 「アダルトチルドレン」ってどういうものなのか 今日の話を聴いてほしいんだ。


動画では詳しく話しているんだけれど 「アダルトチルドレン」ってな
子どものころ自分のことを尊重して育ててもらっていない人のことなんだな。


尊重してもらっていない って要素はたくさんあるなぁ。
たとえば 愛情を与えてもらっていない とか 虐待をされてきた とか 
いつも怒鳴られてきた とかなぁ


親の考えを押しつけられて自分の思うようにはできないで育ってきた とか
この他にも 容姿のことをからかわれたり いない子のように扱われてきたり とか・・・


”あぁ これは自分には関係ないなぁ” って思う人もいると思う。
でもな ”これって自分のことかもしれない” って思う人も結構いるものなんだなぁ。


親は子どもを愛情をもって大切に育てるものだ
 という考えが世の中で当たり前になっている。
たしかに それは当然の姿に思えるのだけれど そうではない育てられ方をしてきた子供も大勢いるんだ。


そういう育てられ方をしてきた子供は 大人になってから いいや子供のうちから 様々な生きづらさを抱えるようになるんだなぁ。
「親のことを悪くいうものじゃない」 という風潮が世の中にはあるからなぁ 社会があまりそこには入ろうとしないんだけれど
おふくろは それではいつまでたっても生きづらい人が次々と生まれてしまうのではないか と思っているんだなぁ。 


とにかくな そんなふうな育てられ方をしてきたために 今 つらかったり苦しかったりしながら生きている人が
今の世の中にはいるんだ
 っていうことをぜひ知ってもらいたいんだ。


ただし この話は「親を非難したり攻撃したりすることでは決してない」 ということなんだ。
人間が先に進んで行くために 事実を事実として受け止め一度そこに触れる必要があるということなんだなぁ。


これは誰かのせいにしたり 誰かを責めることでは決して解決しない話でな
みんなで共有して考えていく 現代社会の課題だと思っているんだなぁ。


自分にはあまり関係ない と思う人でも こういうことで苦しんでいる人が世の中にはいるんだ
ということを知ってくれ なぁ。
しつこいけれど なぁ・・・


「生きづらい人へ・1」(アダルトチルドレン・1)



最後に

幼い魂や 弱い動物たちが 痛めつけられない世の中になりますように

弱いものを傷つけることで 自分を保たなければならない人間たちの心が

安らかになりますように 心から祈る

  

Posted by N子 at 14:32Comments(0)

2022年09月21日

心が生きているということ

先日 オレが眠っている墓のそばにあった古い柿の木が 倒れてしまった。

この木は おふくろが嫁に来るずっと前 おやじが生まれたときにはすでにあった
という老木でな


毎年 甘い実をたくさんつけて 秋の楽しみを届けてくれていた木なんだ。
「おーい えらいことが起きたぞ」 っておやじがおふくろに言いに来た。


おふくろは ”どれどれ?” と思いながら庭に出て
前の方のオレの墓のそばをのぞいてみたんだ。




そうしたら この通り元から倒れていた。 
これを見るまでは 何とも思わなかったのに


おふくろは 胸がいっぱいになってしまってなぁ
泣きそうになってしまったんだ。


「やだ 胸がいっぱいになってしまったよ・・・」
なんて言いながら おふうろは倒れた柿の木をながめていたんだ。


おやじと息子とであっという間に 柿の木は片付けられてしまった。
オレの墓のまわりが 急に殺風景になってしまってなぁ 間が抜けたようになってしまったんだなぁ。


思い返してみると この柿の木 もうここ10年くらいはほとんど実をつけることがなかった。
おやじもおふくろも ”もう年寄りの木だからしかたがないんだろうなぁ” って思っていたんだ。




ところが去年は たくさんの実をつけてくれてなぁ みんなが 「うまいうまい」 っていっぱい食べた。
おふくろは そんなことも思い出して 


”最後の力を振り絞って自分たちにおいしい柿の実を食べさせてくれて”
”今年 その命を終わりにしたんだなぁ”
 って思ってな いっそう胸がいっぱいになったんだなぁ。


命というものはなぁ 最期には人間たちに奇跡を見せて去っていくものなんだ。
オレの最期もそうだったもの。  家族に思いっきり奇跡を見せて オレ 命を終わらせた。


それを体験した者は 皆 深い感動を味わうんだ。  不思議だなぁ すごいなぁ ってな。
柿の木の最期に感動したおふくろは はたと気づいた。 


 ”自分は柿の木の最期にこんなに心を動かされるんだなぁ” ”心が生きているっていうことなんだろうなぁ” 
って思ってな そんな自分をありがたいと思ったんだ。




                おふくろの挑戦


ユーチューブのユーの字も知らなかったおふくろが コンサルタントさんにすすめられて動画を撮り始めて 今ユーチューブで配信している。
いまだに ユーチューブのことが良くわかっていない状態なんだけど どうにかなるものだなぁ。


だけど 発信することはできてもその他のことは まだよくわかっていない。 
でもな 自分が発信していることが いつか必ず誰かの役に立つ と信じて動画を撮り続けてきたんだ。


「生きづらい人へ」 というシリーズと 「一人で頑張っている社長さんへ」 というシリーズ。
それが とうとう それぞれのシリーズが一区切りついたんだ。  


あわただしいおふくろの日常の中に デーンとすえた動画配信の作業が一段落した。
また次のシリーズも計画しているのだけれど 少し時間をあけてから届けることになる。


今度は 「人間関係の作り方」について 取り上げることになるんだなぁ。
生き方について興味があったなら のぞいてみてくれ。  なぁ。


最後に

幼い魂や 弱い動物たちが 痛めつけられない世の中になりますように

弱いものを傷つけることで 自分を保たなければならない人間たちの心が

安らかになりますように 心から祈る





  

Posted by N子 at 23:04Comments(0)

2011年05月17日

死んだらどうなる・最終章

こういうことは 個人的な事でな 人に押し付けるものではないんだな。

母ちゃんが 子どもの頃に味わった そこはかとない不安感から抜け出るために 自分の半生を使って調べたり考えたりしたあげく ほぼ解決できたことを ただ伝えたいと思っただけなんだ。



人間が死んだ後 どういう過程をたどって向こう側へ行くのか っていうことを ここで語る必要はないと思うんだ。

ただ それについても たくさんの本を読んでみたんだけど 大方が同じ様な内容が書いてあった。

その中で一つだけ ここで語っておきたいことは 肉体から離れて魂だけになったとき それはそれは安らかな満ち足りた状態になる とあったんだ。

体や心が病んでいたものも そのことからすっかり解放されて 軽やかでこの上なく愛に満たされた幸福感でいっぱいになるんだと。

その世界には 相対するものはないから すべてが一体で一つなんだ。



一体 という安心感。

この上ない やすらぎ。

そのことが 母ちゃんにとって一番強烈に心に残っている。

今 自分たちがいる世界は 相対するものがあるから 「経験」 というものができる。

絶対の世界では 「経験」 は出来ない。

相手も周りもなく すべてが一体だからな。

人間は 栄光を体験するために ここにいる。

人間たちよ 栄光を体験するんだ。

ワクワクする 活き活きする 体験をするんだぞ。

どんな小さなことでも ワクワクしてみろ。

オレ 天国から見ているからな。

いつでも 見ているぞ。



さて・・・

なんと言うか・・・・

とうとう この日が来てしまった。

オレが死んだ後 父ちゃんが言った。

「一つの時代が 終わったな・・」

「楽しい犬だった・・・」

母ちゃん ずっと考えてきたんだけど やっぱり一区切りをつけることにしたんだ。

オレから離れて 日常のことを語ろうと思えば いくらでも話題はあると思うんだ。

だけど もしもそれをするなら この 「オレの語り」 の続きではなく まったく別のものとして 新たにブログを始めるべきだ・・・

そう 思ったんだ。



この 「オレの語り」 は ここで区切りをつけて 一つのものとして完結させる。

それが 一番いい と 思ったんだな。

ここに至るまでは さんざん考えて さんざん泣いたんだ。

この 1年8ヶ月の間のことを思うとな どうしても泣けてしまうんだ。

辛かったからではない 悲しかったからではない・・・・

今 アメブロでは まだ ポリスドッグシューズのことを知らないでいて くつしたで散歩をしていて 大変な時期のことをやっている。


そのときは 夢中でやっていたけど 今思い返してみると 胸の中がいっぱいだったのだと思う。

それを この語りにきてくれたみんなに 支えてもらった。

励ましてもらった。

そのおかげで その時期のことも幸せに感じながら過ごすことができた。

そのことを思うと 涙がこみ上げてくる。

北は北海道から 南は九州まで もちろん群馬県中から 海の向うはフランスからも 暖かい心を送り続けてもらった。

どれだけ深く 支えてもらったか・・・



母ちゃん 今 一人ひとりのハンドルネームを思い浮かべて ありがたさの思いを発している。

声は出さなくとも 心で応援してくれていた人たちも 大勢いた。

母ちゃんの 感謝の思いが みんなに届いているだろうか?

この 「オレの語り」 は 温かい心が流れていた。

今 母ちゃんは 「オレの語り」 をして 本当に良かったと思っている。



これからは この間言ったように オレの友達紹介をしていこうと思っている。

「ジョーのともだち」
http://jyonotomodati.gunmablog.net/

まず 事始めに ぽりさんのところのボビーの紹介をしようと思っている。

まだ 一区切りをつけようと決める前に ぽりさんには紹介することの了解をとっている。

母ちゃん できるだけ忠実に ぽりさんの話を再現しようと思って もらったメールやコメントの要点をメモに落としてみた。

それを読んでみたり 写真を見たりしているうちに そのことがとっても楽しくなってきたんだ。

詳しくは 友達紹介のコーナーで語るんだけど ボビーは病気を乗り越えて今を生きている。

他の友達もそうなんだけど 皆 それぞれが物語りになるような 小さな歴史を持っている。

母ちゃん それをみんなに紹介したい。



1年8ヶ月の間に聞いた友達の歴史と みんなとの温かい心の交流を 再び確認する意味でも そのことがしたい。

時間はかかると思うけど 大切に一人ひとりを紹介したい。

オレの この口調はそのままでな。

そして この語りが少しでも 犬や猫の介護をしているひとたちや 相棒を失ってしまった人たちの 役に立てればいいなぁ・・・

母ちゃん そう思っている。




記事総数     559
コメント総数   2428

ここに来てくれた みんな!

1年8ヶ月を 共に過ごしてくれて ありがとう!

またな~!!!
  

Posted by N子 at 15:05Comments(22)

2011年05月04日

続・死んだらどうなる

知っての通り 母ちゃんは 還暦間近のただのおばさんだ。

だから 知りたいことは調べるしかない。

本や 人の話を聞いてな。



調べる時の基準は   ”これを言っている人は 誠実だろうか・・・”

ということで 読み方 聞き方を決めている。

書いている 話している 人間で 判断した。

文章や語り口で 誠心誠意で話しているかどうか 判断した。

大丈夫 と思ったら まずは信用して 読んだり聞いたりした。

そして 新しいことが目の前に現れた時は 一つのことを思いながら目を向けた。



その 一つのこととは 若いころ読んだ本に書かれてあったことだ。

1次元 2次元 3次元 それから多次元について 書かれていた本でな 難しそうだけどそうでもないんだ。



人間やオレたちがいる この3次元の空間にあるものは 面や 線を 認識できるな。

2次元と言われる面のことを 思い描けるな。

1次元の線のことも 理解できるものな。

だけどもしも 4次元の世界 というものがあったとしたら オレたちには理解できない。

それ以上の 多次元の世界についても なおさら理解不能だな。

また 線の世界にいたとしたら 面のことは理解できない。

面の世界からは 空間のことは理解できない。 

今 自分がいる世界から見えるものしか 物事を見ることができない。

だけど その世界だけしかない と 考えていれば 話はそれで終わりだな。

母ちゃんは 未知の世界のこと知りたいわけだ。



だから 「自分の5感で確かめられないことは 受け入れない」 という考え方をしないようにしたんだ。

そういうとらえ方で 人の話や本を読んだんだ。

ただのおばさんとしては かなりの量の本を読んだと思う。

だって 母ちゃんの一生の課題と言ってもいいくらいの ことだったからな。



丹波哲郎も 何冊も読んだ。

そのほかに 外国の人が書いた本も たくさん読んだ。

日本人の大学教授が書いた 論文を本にしたものも全シリーズ読んだ。

とにかく 知りたいことだったから 苦ではなかったな。

そして 母ちゃんのベースになっている本にも そのことが書いてあった。

そうやって 頭の中が出来上がっていったんだ。



もう ずいぶん前に 読んだ本の中に 人間の不安感の究極は 死への不安から来ている・・・・

と 書いてあった。

母ちゃんは なるほどなぁ と 思ったものだ。

だから ○○教 という宗教が存在するんだ。

生き死にに踏み込んで 物事を考えて 本当の安らぎを手に入れるために。

それは 個人で確立したものでも同じことだと思うんだ。

死ぬことに対しての認識を 自分で作り上げたとしたら それも立派な信仰だ。

母ちゃん 死んだ後のことについて書いてある本を 繰返し繰返し読んだおかげで 体の中に出来上がってきたんだ。

死んだらどうなるか ということがな。

みな 誠実で 押し付けがましくない本だった。



知らぬ間に 肉体が終わっても 意識 魂 エッセンス というようなものが残り続ける と 感じるようになってきたんだ。

自分で 自分に 暗示をかけたようなものだな。

世の中に 暗示が働いていることは たくさんあるぞ。

コマーシャルなんか 同じ宣伝文句を繰返し 音楽と映像とキャッチコピーで伝えているな。

こういうことも 暗示と言えると思うぞ。

とにかく 母ちゃんは 死んだらどうなるか という自分の課題を 長い間かかって調べて 取り入れた。 

それを 繰り返し頭と体に入れることによって 自分のものにしたんだな。



死んでみなければ わからないことには相違ないんだけど あの 子供時代の訳のわからない不安感からは きれいさっぱり解放されたんだ。

そして 暗示によって 自分で取り入れた情報が 確信となってきたんだ。

それによって 様々なことに対する考え方が 楽になって来たぞ。


ほれ また 長くなってしまった。

今日は この辺でな。

またな!!!
  

Posted by N子 at 01:02Comments(2)

2011年05月01日

死んだらどうなる

今日の語りは 母ちゃんが いつかは語ることになるんだろうな と 何となく思っていたことなんだ。

その いつかは 今日になった。



オレの介護をしているころは そのことに忙殺されていて 母ちゃんの頭の中は 物事を整理する ということができなかった。

考え方も 実際の物もだな。

ところが オレが死んでから 時間と共に変化してきた。

幾日か前までは そんな余裕はなかったけれど 最近は整理をすることに明け暮れている。

だから こんなものや



こんなもの




そして こんなものが見つかったんだ。



狂犬病の予防注射の案内の葉書。

この葉書が来たとき 父ちゃんも母ちゃんも

「今年は ジョーは 注射は無理だな・・・・」

なんて言っていた。 

本当に 必要なくなってしまったな。





頭の中も いろいろなことを 思い巡らすようになってきた。

どうも 一つ 乗り越えたみたいだな。

オレの過去を アメブロで再体験する というリハビリも効果があったと思う。

オレが母ちゃんのそばにいる と言うより 母ちゃんの中にオレが入っている という感じがしている。

母ちゃんと 同化している と いう感じかな。

だから 母ちゃんの胸の中が いつも温かい気がするんだ。

よかったぞ。





そこで 今日の本題に入るぞ。

母ちゃんは 物心ついた頃から  ”人間は 死んだらどうなるのか・・” という疑問を持ち始め 大きくなるに連れて それは膨らんでいったんだ。

まだ小学校に入ったばかりの頃だったと思う。

母ちゃんの家は いつも両親が家にいて仕事をしていた。

それが たまに 二人とも家にいないことがあってな 妹たちがいたかどうか思い出せないんだけど 母ちゃんの記憶の中では 母ちゃんが一人ぼっちだったんだな。

そんなときは 死 というものを考えてしまって どうにもならないほどの孤独感と不安感にさいなまれて じっとしていられなかった。



家の中を 泣きながら歩き回っていたなぁ。

親を待ちわびてな。

あの 薄暗くなった家の中の 静まり返った空気感は忘れられない。

それは 1度だけではなく 何度かあった気がする。

どうして ”死んだらどうなるか” 考えるようになったのかは わからないんだ。

だけど それ以後 母ちゃんの課題として ずっと探求することになったんだ。

幼い頃は そういう疑問は 親に聞くしかないんでな 両親に聞いてみた。



母ちゃんの父ちゃんは  「父ちゃんは 人間が死んだら 何も残らないと思うよ」

と 自分の意見を言ってくれた。

母ちゃんの母ちゃん 今の施設のばあちゃんは 「そういうことは 死んで見なければわからない」

と 言ったと思うんだ。

母ちゃんとしては そのときはそう聞いたけど それでは納得できなかったんだな。

だけど そのまま 疑問を持ち続けて大人になった。



父ちゃんと結婚してから いろいろな本を読んでみたんだ。

母ちゃんにも そういう 本を読むことが出来る時代が あったんだな。

長くなってきたので 今日は この辺で終わりにするけど 

母ちゃんは 最終的に 人間も動物も 魂と呼ばれるもの 言い換えれば エッセンスとでも言うようなものが残る 

という結論に達したんだ。



母ちゃん どこの宗教にも属していないぞ。

いわゆる 霊感 というものも 持ち合わせていない。

だけど そう 結論付けたんだ。

続きは この次 な。 

今日は またな!!!
  

Posted by N子 at 22:36Comments(4)

2011年01月27日

イノシシ その後

オレ こんな風にして 
水やミルクを もらうんだ。

元気な頃は 自分で外に行って
常に蛇口から流れ出ている 山の水を

好きなだけ飲んだものだ。

今は 母ちゃんからもらうものだけが
オレの 命のかてになる。



午後は オレが鳴いたら
母ちゃんが 自分のそばまで連れて行ってくれた。

夕方まで 母ちゃんのそばで
横になっていたんだ。

時々 母ちゃんも オレの顔に自分の顔をつけて
昼寝をした。




ところで この間の語りの イノシシな
どうなったと思う?

父ちゃんが めいっこを連れて行って 見せた日
父ちゃんが 母ちゃんに報告した。

めいっこは
「昨日は まだ生きていたんだよ・・」

姉ちゃんと 見た日のことだな。

父ちゃんが
「お墓に入れてあげようね・・」

と言うと
「お墓に入れてあげたら 生き返るかねぇ・・?」

何と言う感性だろう。
脱帽  だな。

次の日
母ちゃんが 父ちゃんに聞いた。

「あの子 どうした? あのまんま?」

「あの子って・・?」

「イノシシの子だよ」

「あぁ あれは 奥のほうの イノシシにかき回されている場所においてきた・・」

母ちゃん ピーンときた。

オレのうち 前のほうがずーっと土手になっているんだ。
そこをほとんど イノシシがかき回して歩く。

何かの根っこを探して かき回すのか
はたまた ミミズとかの小動物を探して かき回すのか・・・

とにかく 困っていたんだ。
特に その 奥のほうの場所は 土がえぐられてしまって いつ崩れるかわからない状態なんだ。

そこに あの子を置いてきた。

どこかに埋めるのかと 思っていたら
さすが 父ちゃん 野生的だ。

お墓には 入れずに 
ひっきりなしにやって来て 悪さをする相手を威嚇するために あの子を使った。

それで 来なくなるかどうかはわからないけれど・・・・

母ちゃんは この家に来て こんなことでずい分鍛えられた。
そして 命についての捉え方が 大きく変化した。

人間だって 動物の一部だ。
命をもらって 生きている。

自分で殺生してまでは しないことだけど
あの子の命を 無駄にしないで 使わせてもらったんだな。

またな!!!
  

Posted by N子 at 19:54Comments(4)

2011年01月24日

発信(良い種を)

今日は 奥さんと甥っ子が来てくれた。

めいっこたちもそうだけど
みんな オレへのあいさつは欠かさない。











介護が必要な オレの立場ではあるけれど
この目は 生きることに向かっていると思わないか?










あくびもするしな。



それでも 母ちゃんは 
オレとの別れに備えた覚悟を 少しずつ準備している。

というか 準備せざるを得ない・・・
というほうが 適当かもしれない。

いざ そのときになれば どうなるかはわからないけど
乗り越えなければならない ことではある。

そんなことを もろもろ含んで
オレの語りを 発信しているんだ。

その語りを聞いて 自分のそれと重ね合わせている人が
けっこういるのかもしれない・・・

このごろ 母ちゃん そう思っている。

愛犬や愛猫が まだ若くて元気なうちは 
思っても見ないんだろうけど

過去に そんな経験がある人だっているだろう。
今 まさにその最中の人だっている。

蘭の父ちゃんが 言ってくれた。

「同じように介護をするもの同士 共に 試行錯誤しながら 楽しんでいきましょう・・」


emaさんは 一年近く前に逝ったチッパーのことが 鮮明によみがえっていると言う。

nanapuさんは 死んだプースケを思い出している。
これが プースケの写真だ。

母ちゃん 何だか知らないけど
この写真を見て 泣けてしようがなかった。

きっと 今のオレと重なったからなんだろうな。


さえさんも かつて飼っていたワンコのことを 思い出している と言う。


そして めぐみんさんが 自分のブログで
もう死んでしまった ビンのことを 紹介し始めた。
http://megumin.gunmablog.net/e144002.html
窓の外に見える 白くて 
まるでヤギのように見えるのが ビンなんだ。

この話も 物語を読んでいるようで 心が洗われるんだ。


ものを言わないオレたちと 一緒に暮らすこと

オレのように 家の中で家族と共に暮らすものだけでなく
外でかわいがられて暮らすものだとて 同じことだ。

オレたちの最期まで付き合うということは
今 母ちゃんが味わっている感情を 同じように体験する

と 言うことになるだろう。

人間の介護も 尊厳のあるもので 
オレたちの介護とは 比較するものではないけれど

オレたちの介護にはまた 特有のものがある。

本来 すべての命が持ち合わせている
「けなげ」 を 体と心全体で現すから

介護する側に 深く 優しく 切なく 宝物が残る。

母ちゃん オレが若い頃は たまには怒ることもあった。
だけど 今は いつも穏やかだ。

うれしそうに オレの世話をしている。
確かに オレと母ちゃんの 新しい間柄ができている。

今日の語りの話題は オレたちと人間の
心の交流の 話題だ。

優しく 穏やかで それでいて
命が持つ 特有の 切なさも含んだ 暖かい話題だ。

そのことを知っている人間は
ぜひ それを教えてくれ。

命から発する 心の交流は 世の中に 良い種をまくんだ。

今日の オレの語りからも 良い種が 広がっていきますように・・・・

それから nanapuさんとめぐみんさんの写真を 使わせてもらったぞ。

事後承諾でな。


またな!!!
  

Posted by N子 at 20:44Comments(6)

2011年01月22日

イノシシ

昨日の朝 父ちゃんが Fさんに言っていた。

「F君 車の前にイノシシが死んでいたの
わかった?」

「いえ 気づきませんでした・・」

「そうなんだ 車のすぐ前だったから
気付かなかったのかな・・」

夜になって 今度は母ちゃんに
「おまえ 見た? イノシシ」

「エー? 車の前って・・・ 家においてある Fさんの車の前ってこと?」

「そうだよ」

なんだ 母ちゃん 現場での話だと思って
聞きもしなかったんだ。

今朝 Fさんが車を置く場所へ行ってみた。

父ちゃんと母ちゃんが 木の葉と米ぬかで
作っている堆肥が置いてある すぐそばだった。

イノシシの子供が 静かに横たわっていた。

画面の 左下。





鼻先が まだつやがあった。
かわいい顔だ。

毛並みなどを見ると オレと重なる。


父ちゃんも母ちゃんも いたのだろうに・・・
どんな思いなのかなぁ・・・





じっと見ているうちに 

”生き死には ごく当たり前のことで
命ある者にとっては 当然の成り行きなんだ”

その子が そう 伝えているような気がしてきた。

その子の両親は その事を とうに分かっていたのかもしれないな・・・
理屈じゃぁなく。

母ちゃん そんなことを思いながら そこを後にした。

父ちゃん あの子を どうするんかなぁ・・・?



今日は この話と オレがうんこが出た話を
しようと思ったんだけどな

神聖な命の話と うんこの話を一緒にしたんじゃぁ
くそみそ 一緒 ってぇことになるからな

うんこの話は 別の語りでするからな。

またな!!!
  

Posted by N子 at 14:47Comments(2)

2011年01月07日

オレの命

これは 前にも語ったことがあるけど
オレ 神様が 「もうこっちへおいで」

と言うまで この家の家族と暮らしていくんだ。

あさってには 満12歳になる。
オレより少し姉さんの蘭に やっと追いつくんだ。







今日みたいに寒い日は 腰にカイロを貼ってもらう。

あいあいさんに教えてもらった。
オレの下半身は 麻痺のため循環が悪いからな

ミニカイロを貼ってもらうと
足先まで暖かくなる。

こんなふうに たくさんの人たちから
いろんなことを 教えてもらって今日まで来ている。

オレも母ちゃんも なーんにも知らないから
語りに来てくれる人達からの情報は ありがたいぞ。

車椅子 クツ 肉球のクリーム サプリメント
膀胱に自分でクダを入れて おしっこを採る方法

足の屈伸運動 ドッグフードをふやかすこと
そのほか たくさんのことを教えてもらった。

全部 オレの日常の役に立っている。

これらのことを教えてもらってなければ
今 こんなに元気にいられなかったかも知れない。

そして 辛いとき うれしいときに ともに心配したり 喜んだりしてくれる 
語りを訪れる 多くの人たちの心。

いまや これは オレと母ちゃんのすべての原動力になっている。

これらのことによって 確実にオレ 活力を生んでいる。
もう・・ 不思議であり ありがたくもある。

こうなったら オレの命は オレの家族のものだけじゃぁないな。
オレのことを知っている すべての人達のものだ。

おととしの9月12日から始めた この語り。
そのときから ここまでの道のりは決まっていたんだ。

そうでなければ この語りは始まらなかった。
また 始めたとしても 続かなかっただろう。

オレ これからの命 

父ちゃん母ちゃんと オレの家族と そして オレのことを応援してくれているみんなと共に 
精一杯生きていくぞ!

蘭と共に 生きていくぞ!
Sayaも ついて来い!

またな!!!
  

Posted by N子 at 22:30Comments(8)

2010年12月17日

若い命と老いた命

午前中の オレ。












静かに よーく寝たぞ。
窓辺で 暖かく 気持ちよくなぁ。










昼頃 甥っ子が来た。
奥さんとな。

たちまち にぎやかになる。

若いエネルギーは 華やかだな。
勢いがある。





少しはやめのクリスマスプレゼントをもらって
なおさら 華やかだ。

(はじのほうに オレのお尻が見えるだろう・・
すでに この時点で 主役を譲っているんだ。)


活き活きとした顔つき
張りのある声

体全体で表す 喜びの感情。
どれをとっても 前を向いている。

華やかだな。


たどたどしい口元から発する はっきりした言葉の 一つ一つを 
周りの大人たちが 絶賛する。

もはや オレの出る幕はまったくない。

(ほれ 奥のほうにいるオレにも
注目してくれな)


動と静。
明と暗。

前と後ろ。
広と狭。

今風の考え方でいくと
どう考えても オレのほうが負けている。

だけどな 前にも話した
自分と正反対のものがあるから 自分の状態がわかる・・

という見方をするとな 勝ちも負けもないんだな。

暗があるから 明の状態がわかる。

ただ 明と暗があるだけだ。

オレのほうが 死に向かって近くなっているだけだ。
ただ それだけだ。

人生も犬生も 産まれてから 死に向かって進んでいく。
その 最初の段階と 終わりのほうの段階なだけだ。

「ジョーちゃん ばいばーい・・・」

甥っ子は あどけなく帰っていった。

またな!!!
  

Posted by N子 at 20:33Comments(4)

2010年11月22日

こころ

父ちゃんと母ちゃんが オレを選ぶとき・・
ボクサー犬 という犬種を選ぶとき

いろいろな資料を参考にしたり
名犬牧場というようなところも 廻った。

いろんな犬種が載っている 雑誌もたくさん 見てみた。

その中から ボクサー犬 という犬種を選んだんだ。
それも 二人とも一致した。

このことは 前にも話したな。
「なんでボクサー犬?」http://jyokaisou.gunmablog.net/e89353.html

何冊かの雑誌には
ボクサー犬の寿命は 8~9歳と書いてあった。

父ちゃんも母ちゃんも 10歳まで生きてくれればなぁ
と 考えていたんだ。

それが 来年1月で12歳になる。
オレ自身も よく生きてきたなぁ・・・

と この頃思う。

母ちゃん この頃思うんだ。
オレと暮らしたからこそ受け取ったものがある・・・

とな。

オレから受け取った多くのことがら。
一口には言えない さまざまなこと。

そのことを思うとき 胸が熱くなる。
心のそこから 暖かいものがこみ上げてくる。

ペットと暮らす人間は みな感じることなんだろうな。
オレの家族も 感じている。

オレが 一生の間に発信し続けていることがら。
たとえ その一生が短かかったとしても 同じことだ。

人間の 心の奥底にじわじわと染み入るエッセンス。
それは オレの命から発するエッセンスだ。

それが 父ちゃん母ちゃんの心に届く。
暖かく 熱く 切なく 心に届く。

そして それが オレの語りを通して
たくさんの人たちの 心に届くんだ。

その心が また オレと母ちゃんに帰ってくる。

蘭が使っていた車椅子として・・・
emaさんが教えてくれた ポリスドッグシューズとして・・・

コメントをくれる人たちの 暖かく心強いメッセージとして・・・
声こそは出さないけど 語りを聞きにきてくれて応援してくれている 見えないメッセージとして・・・

心が・・・・
届いている。

この頃の オレと母ちゃんには
そのことが ひとしお 心に染み入るんだ。

ありがたいんだ。

母ちゃん うれしいことに対して 涙もろくなっている。

心のやりとりは
もとは 命から発信されている!


またな!!!
  

Posted by N子 at 20:14Comments(0)

2010年10月19日

名もなきもの

世の中の 名もなきものの中には
美しいものが たくさんある。











母ちゃんは 草 と呼ばれる
そこいらに咲いている 花を

庭から摘んできて 飾るのが好きだ。










「自然のものって どうしてこんなにも
バランスがいいんだろうね・・」

「ただ チャチャッとさしただけなのに
様になっちゃうんだものね」









とくに この花。












庭の 隅のほうにひっそり咲いている。

去年までは 見ても通り過ぎていた
名もなき花。

花の名前はあるのだろうけど










この バラ のように
誰もが知っているものではない。

ただの草 と 思われている
ひそやかな 花だ。










だけど 自然体で
実に バランスがとれている。

母ちゃん 今年は そこに目がいっている。

オレの命と 面と向き合っているからかもしれない。
人知れず生きている命を いとおしく思う。






そして
人間も そうだ。

一人ひとりには 名前があるけど
ほとんどが ひっそりと生きている。

誰もが知っている 有名人は
ほんの一握りの人間だけだ。

だけど それぞれが 自分の境遇のなかで
懸命に生きている。



職場の環境と 闘っている者。

子育てで 闘っている者。

生活を立て直すために 闘っている者。

毎日押し寄せる ストレスと 闘っている者。

そして 自分と 闘っている者。

みんな みんな 美しいんだ。

栄光を 体験するために 生きているんだ。

名前も知らない この花を
母ちゃんが 抱えてきて 花瓶にさして めでているように

人間にも そっと見守っている存在がいる。

大きく ゆっくり 深呼吸をしてみろよ
目には見えなくとも 大いなるものに守られていることを

感じられるだろう・・・



またな!!!
  

Posted by N子 at 22:17Comments(8)

2010年10月14日

オレと母ちゃん・意味

母ちゃんな どんなことにも
”意味づけ” をするくせがついているんだ。

出来事に対して
これは こういう意味があるから

今 自分に起こっているんだな・・・・

っていうふうに 考えちゃうんだ。

辛いときなんか そんなふうに意味をつけると
けっこう 乗り越えられるぞ。

だいぶ前に 「オレの役目」
http://jyokaisou.gunmablog.net/e79101.html

って 語ったことがある。

オレが この家に来たことの
役目(意味)を 考えたんだ。

そして 今 
さらに大きな役目をしているようなんだ。

昨日 介護を受けるようになってからの
オレと母ちゃんの間柄が

さらに深いものになってきた
って 言ったよな。

「オレの役目」 を 語った頃は
主に この家の人間関係にかかわった。

それはそれで 大きな仕事だったんだ。

それから 散歩をすることによって
母ちゃんが 飛躍的に丈夫になった。

考えてみると オレ ずいぶん
大仕事をしたもんだなぁ・・・

今の仕事はな
ほとんど 母ちゃんに対してなんだ。

母ちゃん 両じいちゃんを見送っているんだな。

そのときに 二人の世話はしたけど 
本格的な介護はしていないんだ。

ところが 今 オレに対しては
超本格的な介護をしている。

公の仕事は ほとんど断って
オレの介護に 専念している。

動けないオレの 手となり足となっている。

犬だって人間だって 介護には変わりはない。
手も腰も痛くなるし 感情だって同じだ。

母ちゃんの一生のうち 本格的な介護を
経験させてもらっている・・・

そう考えているんだ。

母ちゃんは その年齢にふさわしい
たくさんの経験を積んできた。

そして それを 自分の血や肉に代えてきた。
もっともっと いろんな経験をしたいんだ。

経験は 人間の幅を広げる。
人間関係にも 大きく影響を与える。

だって 同じ経験をしていれば
人の話がわかってやれるもの。


そして もう一つの大きな意味は

この オレの語りだ。

この語りは オレがいなければ
ありえないことだった。

この世界とは 無縁の生活をしていたことだろうな。

なぜだか オレの語りの最初から
このスタイルは決まっていた。

オレが語ること。
そして この話し方。

初めから すっと出てきた。
ちょっと不思議なんだ。

語りをはじめてから あれよあれよという間に
オレは 歩けなくなり 衰えが始まったんだ。

どう考えても 意味がある気がする。

母ちゃんが この語りをすることによって
たくさんの人たちと知り合えるように。

この語りをすることによって 自分の気持ちの整理ができるように。

インターネットを 身近なものに出来るように。

オレとの思い出を 形あるものにできるように。

オレの語りをはじめたんだ。

またな!!!
  

Posted by N子 at 22:48Comments(4)